海か……夏は行けなかったからなぁ。(ここに居る誰かさんのおかげで)

車窓越しの景色をぼんやりと見つめながら俺は呟いた。

「ところで紫ちゃんはどうして海に行きたいの」

「これで最後になるかもしれないから」

「最後?」

さっきも言ってた……。

俺は後部座席に寄り掛かりながら、前に居る二人の会話をじっと聞いていた。

「私の目、もうすぐ見えなくなっちゃうんだって」

目が……見えなくなる?

「手術とかすれば見えるようになるんじゃないの?」

彼女は伶の問いに軽く首を横に振った。

「遺伝的なもので先生には十六歳までには見えなくなるって言われているの」

網膜色素変性症──。
六千人に一人くらいの割合で発病すると言われている。
徐々に視力が低下していき、やがては見えなくなるという、魔の病気。
残念ながら未だその治療法は無い。

「そんな……冗談だろ。こんなにかわいい子が盲目になっちまうなんて」

紫は静かに俯いた。
「本当よ。その証拠に最近では視力が低下してきてるの──だからこの目が見えなくなる前に、もう一度『海』を見ておきたいの」

──海。

「どうして……『海』なんだ?」
俺はさっきまで聞いていた話に言葉を挟んだ。
いや、挟まずにはいられなかった。

「海を見ていると落ち着くの……とても安心する。昔からね、嫌なことや辛いこと、悲しいことがあると『海』を見に来てたの……私の家、幼い頃は海の近くにあって……」

「春日?」

「……ここに居れば全部、全部……忘れられる……そう思っていたから」

――涙。

「あれ?私どうしちゃったんだろう……」

「紫ちゃん……」

彼女の目からは大粒の涙が溢れていた。
その大きくて澄んだ瞳がもうすぐ見えなくなってしまうなんて……本当に信じられない。

こぼれ落ちる涙の一粒一粒に今までの悲しみや辛さが込められているようで。
俺には――、

「大丈夫、例え目が見えなくなったってお前が見てきたもの、感じてきたものは変わらないよ」

心が痛かった。