それからの敦子は、両親の前ではミュージシャンになる話しをするのをやめた。
だが、夢をあきらめたわけではなかった。

父親から言われて反発できなかったのは、自分自身に自信がなかったからだと思った。

その時、今以上にピアノを上手く弾けるようにならないといけないと考えた。

そのため、両親には音楽の教師になりたいと言って、ピアノのレッスンを高校生になっても続けさせてもらった。

敦子が両親についた初めての嘘だった。

その頃の敦子には、ひとつの計画があった。

大学生になったら、家を出ようと考えた。

このまま、家にいると両親からいいように人生を決められそうな気がしたからだ。

敦子には、二人の兄がいる。
将来は父親と同じ医師になることを決めたいた。

敦子は、そんなレールに乗った生き方は嫌だった。

両親は、敦子が医師になることを望んではいなかった。
しかし、このまま家にいると、両親が就職先、結婚相手まで決めてしまいそうで、そう思うと息苦しくなってくる。
早く家を出て、自分の好きな音楽をやりたいと、強く心の中で思い続けた。

大学は東京の青山学院大学に決めた。

理由は、サザンのルーツである大学こそ自分が行く場所だど思ったからだ。
そこで音楽をしよう。
その思いで受験をして見事に合格をした。

両親には、大学卒業後には、実家に帰る条件で入学を許してもらった。
それは、敦子が両親についた二つめの嘘だった。