一体、どの深さに達した時にこの糸は現れるのだろう。
その基準は深さではなく暗さだろうか。暗さではなく重さだろうか。重さではなく自覚の度合いだろうか。それとも基準などなく、糸の持ち主の単なる気まぐれなのだろうか。


時に、糸をたぐるその路路に、その糸は私のものだと言わんばかりにこの手を押し退け、巧妙にその糸を奪う者が現れる。

横取りをするその者は、偽物の被害者の鎧を身に纏い、かき集めた同情をあちらこちらにぶら下げて、色素の薄い涙を武器に投げつけながら、ちぎれんばかりにその糸にすがりつき、浅ましき姿を偽物の弱者の衣で隠し周りの目を眩ませながら登ってゆく。


その糸はその者ではなく自分の為に差し出された自分だけのものだという確信はこの胸に小さな余裕すら呼び起こし、その浅ましくも哀しい姿を憐れみをもって此処からただ黙って見送るのだ。

その糸の持ち主は、その姿を認めてもやはり糸を切ったりはしない。


ただ、逆光に隠れたその表情がせめて無表情であることを、嫉妬を忘れたこの心が切に願っている。




だが。
無常。


生ある限り全てが無常なのだ。

この深淵も地上の光も無常、その糸の持ち主も例外ではない。


次にこの深淵に堕ちたときまたその糸が現れるとは限らないのだ。