俺は、家族が嫌い。他人はもっと嫌い。マスコミはもっともっと嫌い。
俺は、ヒトが嫌い
一番古い記憶、母がテレビを見ていた。
警察が暴れる犯罪者や違反者に立ち向かっている。他にも、人が叫んでいたり運ばれたり。
俺はそれを見るのが嫌いだった。
五歳のころ、父が死んだらしい。記憶がほとんどないし、実感もないからよくは知らないし興味もなかった
小学生の運動会時は親友の父親を少し憧れはした、中学の頃理由は忘れたけど夜家をでて走ったり歩いたりしながら父の死を泣いた時もあった
でもそれはきっとフリだった。そうすればすっきりするような気がした
父をいいように使っていたのだろう、別に謝る気もない
だからか、高校まではひどく母を女性として敬ったり守ったりしなくてはならないとわかっていた
兄は二人いたが二人とも真面目とは言えなかったし、姉も一人いたが母を守る存在というよりかは俺には追加の守る存在だった
そんな母が、「かわいそう」「ひどいね」「最低」というのだ
画面を凝視しながら
画面を変える事を拒みながら
その時から、母は俺の母から憎むべきヒトに変わった
長兄はそれらに対し強く意見を述べ、次兄は意見は述べつつもかやの外と視線に力を入れず
姉は温和なまとめながらあまりにも脆弱な姿勢だった
彼らはただのヒトなのだと評価した後、今に至まで彼らをただの同居人以下、知り合いレベルとして付き合ってきた
言うまでもなく煙たい存在だった
テレビで意味がわからないのが、他人や知らない場所の災難、死、破壊、苦痛、恥、失敗を報じる事。新聞やラジオもそうか
意味がない
隣町で交通事故がありました
この町で生活する人には全く関係ない。関係する人は知る必要がある、道路を通行する、近くで働く用事がある被害者に縁がある
あてはまらずとも近くに行けば現場が知らせてくれる。公共機関が事後処理をしてるのでそれによる不便は大体解消されるだろう
問題ない
ならなぜ報じる?
利益?今人手が足りぬ職などいくらでもある
利益を得るためならそちわを報じ、必要な選択を視聴者に知らせた方がいいだろう
愚かしい
へどはでなかったが、俺は人間である自分を小学五年生にして、呪った
俺は、ヒトが嫌い
一番古い記憶、母がテレビを見ていた。
警察が暴れる犯罪者や違反者に立ち向かっている。他にも、人が叫んでいたり運ばれたり。
俺はそれを見るのが嫌いだった。
五歳のころ、父が死んだらしい。記憶がほとんどないし、実感もないからよくは知らないし興味もなかった
小学生の運動会時は親友の父親を少し憧れはした、中学の頃理由は忘れたけど夜家をでて走ったり歩いたりしながら父の死を泣いた時もあった
でもそれはきっとフリだった。そうすればすっきりするような気がした
父をいいように使っていたのだろう、別に謝る気もない
だからか、高校まではひどく母を女性として敬ったり守ったりしなくてはならないとわかっていた
兄は二人いたが二人とも真面目とは言えなかったし、姉も一人いたが母を守る存在というよりかは俺には追加の守る存在だった
そんな母が、「かわいそう」「ひどいね」「最低」というのだ
画面を凝視しながら
画面を変える事を拒みながら
その時から、母は俺の母から憎むべきヒトに変わった
長兄はそれらに対し強く意見を述べ、次兄は意見は述べつつもかやの外と視線に力を入れず
姉は温和なまとめながらあまりにも脆弱な姿勢だった
彼らはただのヒトなのだと評価した後、今に至まで彼らをただの同居人以下、知り合いレベルとして付き合ってきた
言うまでもなく煙たい存在だった
テレビで意味がわからないのが、他人や知らない場所の災難、死、破壊、苦痛、恥、失敗を報じる事。新聞やラジオもそうか
意味がない
隣町で交通事故がありました
この町で生活する人には全く関係ない。関係する人は知る必要がある、道路を通行する、近くで働く用事がある被害者に縁がある
あてはまらずとも近くに行けば現場が知らせてくれる。公共機関が事後処理をしてるのでそれによる不便は大体解消されるだろう
問題ない
ならなぜ報じる?
利益?今人手が足りぬ職などいくらでもある
利益を得るためならそちわを報じ、必要な選択を視聴者に知らせた方がいいだろう
愚かしい
へどはでなかったが、俺は人間である自分を小学五年生にして、呪った