「おや、面倒だなんて。
てっきり、うちのお姫様の虜かと思っていたよ」

紫馬さんが冗談めかして肩を竦める。
何故かその言葉にどきりと胸が痛んで、足がすくむ。

「もちろん。
彼女は私の命の恩人ですからね。
でも、それだけのことです」

いつも通りの落ち着いた声。
でも、それは俺に気を遣ってわざとそっけなく言っているようにも聞こえた。

「義理堅いねぇ」

「おや。
極道の世界というのは、義理人情で成り立っているのではないんですか?」

紫馬さんの軽口を、皮肉るように清水が言う。
その言葉を受けて、紫馬さんは笑う。

「古いよ、それ。
いつの時代の話?
仁侠映画の見すぎなんじゃないの?
今はね、もっと分かりやすいもので成り立ってるんだよ。
金とか、麻薬、脅迫に、そのあとくらいに情、かな?
義理なんてもん、ありませんよ。
ねぇ、大雅くん?」

歩き出せない俺の背中に、ぽぉんとゴム毬に似た柔らかい声が飛んでくる。
よく言うよ、と、俺は苦笑を隠せない。

何よりも、義理でこの世界に縛られているのは自分のくせに。

「そうですか?
意外と、いらないものを全部そぎ落としていったら残るのは義理人情ってやつかもしれませんよ。
もっとも、まだちょっとそういう人生の深淵みたいなものは見えて来てないので勘違いかもしれませんが」

振り向かず、硬い声で毬を返す。
目を見たら、負けそうな気がしたから。

紫馬さんは言葉を返さない。
俺は毬の行方を見届けぬまま、都さんを抱えて廊下へと出た。