「私も願をかけましたが、菜音の意思がお前を守るでしょう」
 あの人が遺した簪。恵孝は飴色をしたそれを見てそっと微笑んだ。

「ほら、時間がないよ。日の出と共に町を出るんだ」
 丹祢の声で我に返る。そうだ、感傷に浸っている場合ではない。
 恵孝は荷物を背負った。菜音の簪を懐に入れ、そこに地図と『深仙山記』があることを確かめる。

 店の前の通りに出ると、祖父が城の方を向いて立っていた。
「爺様」
「恵孝よ」
 恵正はこちらに背を向けるその格好のまま話した。
「もし何も手だてはないと思ったら、もう薬はよい。恵弾を救うことも諦めよ。とにかくさっさと帰って来い。帰って来たら、儂がみっちり鍛えてやる。お前が杏家の当主じゃ」

 杏家は長く長く続く、医薬を扱う事を生業とする一族である。が、ここ何代かは子どもが一人ずつしか生まれず、分家は絶え、本家の末裔が恵孝である。

「はい」
 恵孝は短く返事をした。