暁晏がふん、と笑った。
「出自を名乗っていくあたり、お前らしい」
「誰かが家に知らせてくれましょう。万一のことあれば、弔いも挙げやすい」
「そこまで考えるか」
 そこまで考えるのに、なぜ橋から落ちるのを防げなかったのかとは思っている。

 水に入ったときの、肌を打つ痛み。この痛みを、息子はあんな小さな体で受けているのか。雪解けの川の水は、体の熱を吸い取るように奪っていく。
 腕を動かし、もがく。頭を川面に出した。
「あっちだ! 左手だ!」
 橋の上から誰が声を上げ、指差した。濁流の中に、そこだけ色が違うところがある。恵弾は流れを横切ってそこに向かう。

「帯を掴み、引き寄せたところで、岸から何人もの人が手を繋いで私の腕を掴んでくれました。それを頼りに岸に這い上がり、息子の顔をやっと見ました。血の気の失せたその顔が目に入ったとき、失ってしまうのかという恐ろしさと、そうさせるものかという熱いものが同時に胸を占めました」
 背中を強打し、水を吐かせる。ずぶ濡れになった服を脱がせ、周囲の人が差し出してくれた乾いた布で、氷のように冷たい肌を擦った。そうしているうちに、誰かが焚き火を起こしてくれた。恵孝はむせて、自分で水を吐いた。青かった顔に、血の気が戻ってきた。

「我が子を失いかける気持ちも、我が子と思った娘を失った気持ちも、私は味わいました。ですがこれは、何も特別なことではないのでしょう」
 恵弾は再び箸を取り、魚の身を食べやすく解す。
「いくら大河や支流の堤を高くしても、橋から落ちる者もいれば、それを救おうとまた溺れる者もいる。どんなに気を付けていたって、息絶えて産まれる子もいるし、出産で命を落とす母親もいる。毒草に蝕まれていく者も、もちろん」
 しっ、と暁晏が息を立てた。辺りを憚る。
 恵弾はちらと暁晏を見て、魚を口に入れた。飲み込んで続ける。
「そういう者がいるということは、その父や母がどこかにいるのだ。この魚が魚網を避けられず捕らえられ、死してなお焼かれて、その身を私が食べている。何も特別なことではない。人が生きて、死の淵に立つことも、その淵から生還するのも、淵の向こうに行ってしまうのも、魚が魚網に掛かるか掛からないかと、何ら変わりはありません」