朝食の焼き魚に箸を入れる。海の魚だ。
 白い身をほぐし、塩味の強い調味料を少し掛ける。そのまま口に入れると、塩味が強すぎる。白い飯と共に食べると丁度良い。
「また一人で食べているのか、恵弾」
 食堂の長机の向こうから声を掛けられた。
「暁晏さん」
 暁晏は恵弾の向かいに座ると、甘い乳が入ったいつもの湯呑み茶碗をごとりと置いた。
「これは、海の魚です。私は海を見たことはない。大河が行き着く先の海で捕れた魚が、人の手で川を遡ってここにある。陛下の支配する、この国の広さを考えていました」
「確かにな」
「そういえば」
 恵弾は箸を置いた。
「息子がまだ幼い頃、大河を渡る橋から落ちたことがありました」

 その春の日、温かい日差しと雨で山嶺の雪解けが進み、大河は濁流であった。橋を行き交う人々は忙しない。恵孝は刻刻と姿を変える川面を食い入るように覗き込んでいた。
 なぜあのとき、身を乗り出し過ぎた恵孝の襟首を掴み、こちらへ引いてやらなかったかと何度も悔やんだ。誰がぶつかったかは終ぞ分からないが、故意ではないと信じている。通りすがった誰かの体が恵孝の背中を押し、恵孝は転がるように橋から落ちたのだ。
「恵孝!」
 腕を伸ばし、叫んだが、大きな音を立てて恵孝の体は河に吸い込まれた。流れが速く、水柱さえも流れに飲まれるようだった。
 道行く人々の悲鳴が上がった。
「私は南町の医薬師、杏恵弾である。落ちたのは我が子、恵孝」
 恵弾はそう叫ぶと、上着をそこに脱ぎ捨て、無我夢中で河に飛び込んだ。