第十の月 朔

 大河が荒れ狂っていた。上流で大雨が降ったのだろうか。城下はそれほど雨は降っていない。
 橋の上で、思ったことを口にした。ときどき、濁った水が噛み付くように橋脚にぶつかった。
 ――違う、恵孝。
 そのとき隣にいて、幼い自分を正したのは誰だったか。父か祖父か、いや梨の祖父か。友だったか、祖母か母か、誰だったか。
 ――確かに雨は降ったけれど、大雨ではない。
 そう言って、北西に連なる高い山の峰々を指差した。そこは真っ白に雪を被ってはいる。しかし、頬を撫でる風には一月前とはまるで異なる暖かさがあった。
 ――山にも、雨が降った。もう何度目の雨だろうか。雪が解け、その水が河をこのようにさせている。
 そうなのか、と大河を見た。川は緩やかに蛇行しており、流れを遡っては見えない。山に厚く降り積もった雪が絶えず溶け、水となって地に滴るのを想像した。それが集まり、流れが生まれ、山を駆け下りるのを想像した。仲間と共に、大軍の兵士が馬に乗って駆けていくように、流れを作るのを想像した。そして足元までやってきて、ここを過ぎ、未だ見ぬ海へと行くことを考えると、胸の辺りが熱くなった。
「すごいや」
 そう呟き、もう一度足元を見た。濁った水はうねりながら、どうどうと音を立てて流れて行く。ひと時として姿を変えぬことはなく、いくら見ても見飽きない。わあ、と橋桁に身を委ね、さらに覗き込んだ。

 とん、と誰かに背中を押された。体がふわりと宙に浮いた。自分の足と太陽が重なるのが見えた。
 ――恵孝!
 自分の名を叫んで腕を伸ばす誰かは、陰になって顔が見えない。
 橋脚にぶつかり、跳ね返った水が、大蛇のように上から降ってくる。蛇に喰われる、そう思ったと同時に、背中が水面を打った。大きな水音が聞こえ、軍馬の蹄のような音がそれをかき消した。すぐにそれも聞こえなくなる。何も見えず、聞こえず、息も出来ない。