「綺与さん。姫様には、もう来ていただかない方が」
「里登、私はね」
 綺与は箸を置いた。
「この町が好きだよ。今でこそ町もずいぶん落ち着いていたけれど、私がお前くらいのときは、まだまだ町を作り直している頃でね。新しい町づくりに、ついでに大河と水路割も見直して、道を広げて、火の見櫓を立てて……私の親も、それまでそれぞれの家で細々とやっていた織物を、一緒にやって商いを大きくしていこうって、ここを開いた。この店も、この町も、私や私らぐらいの連中にとっては自分の手で育ててきたような、自慢の町なんだ。だから、来たいと言う人は拒まないよ」
「ほかの町や国……城からであっても」
「そうさ」
 空になった食器を重ねた。

 外はすっかり夜だったので、綺与は手燭を持って里登を家まで送ってやろうとした。里登が遠慮するのを押して、店の表まで行くと、そこには見知った影があった。
「おや、お前さんは」
 織機を作り、調整を施す職人の一人だ。織り子達は彼らを兄さんと呼んで慕う。若い職人は、里登と綺与の姿を認めると、こちらへ駆け寄ってきた。
「里登、終わったのかい」
「もう、ずっと外で待っていたの? 冷えるのに」
 職人は手にしていた毛織の肩掛けを広げ、里登に掛けた。里登は胸の前でその端を結ぶ。
「どういうことだい?」
 綺与は問うが、答えに検討は付いている。
 ああ、と言って職人は背筋を伸ばした。
「綺与さんには、早く言おうと思っていたのですが」
 里登は少し目を伏せて、それから職人のことを見上げ、綺与のことをしっかりと見た。
「雪解けの頃に祝言を上げて、一緒になろうと約束しています」
 二人は一緒に頭を下げた。綺与の口元が緩む。
「そうかい。それはめでたい」
 職人は嬉しそうにはにかむ。
「ただ、俺の母さんが、里登には家のことを手伝って欲しいと言っているんです。俺は、ここでの仕事を続けて欲しいと思っているんだけど、里登は」
「いいから」
 里登は言葉を遮った。綺与ははっと胸を突かれ、手燭を持つ腕が震えた。灯りが揺れ、三人の影も揺れた。
「綺与さん」
「今日は、もうお帰り」
 続けようとした里登を止め、綺与は笑いかけてやる。
「里登や、大事なことは明るいときに聞こう。今日は疲れたろう、明日はゆっくりお休みよ」
「はい」
 里登は肩掛けの結び目を握った。職人は綺与に再び頭を下げると、里登の背に腕を回して二人は立ち去った。
 綺与は闇の中に遠ざかっていく影を見送り、それから城の方を見た。星明かりに、その大きな影が浮かぶようだ。
 時たまに、織機の中で何色かの糸が絡んでしまうことがある。幼い頃から、それを解くのが好きだった。手元で弄っていた糸は一つ一つ慎重に辿り解いていくと、あるときすっと分かれていった。今、自分の手の中にある絡んだ糸は、さて、解けるものだろうか。