まるでひどい嵐のようだ。
 しっかりと目を開ければ先が見えるはずなのに、ひどい風や雨、轟音のように様々な記憶や幻が現れて、行く手を阻む。

 例えば、薬草になる渇葛の濃紫の花が目に入る。すると、幼い頃に渇葛と、よく似た潤葛の薬を間違えたときのことを思い出す。どちらも胃腸の働きに効く。渇葛は余剰な水分を排出させ、潤葛は不足している水分を補うのだ。腹が緩いときには渇葛の薬を処方するのに、薬を仕舞うときに間違えて、自分で使おうとしたときに潤葛の薬を飲んだのだ。腹が下って仕方がなかった。
 自家用の薬箱だったので、患者の手に渡ることはなかったが、祖父と父親には交互に叱られた。
 祖父には、勝手に己に診断を下したことを。症状の一つだけで判断するな、症状には原因があるのだと。お前もいずれ他人の診察をするのに、安直な判断ではいずれ大きな病いを見落としかねない、杏家にはそんな浅はかな考えしかできぬ者は不要だと。父親には仕舞い間違ったことを。もし商う品であったらどうなる、患者の体に関わることは命に関わること、お前は杏家千年の歴史に泥を塗るのかと。

 父親に丹念に診察され、祖父が調合した薬を飲むと、腹の調子はたちまち良くなった。どこで何を食ったのかを二人に執拗に聞かれた。口は割らなかった。
 体調が良くなり店の手伝いをしていると、お前は店に出るなとまた祖父に怒鳴られ、父に力尽くで蔵の二階に上げられ、学べと梯子を外された。そのうち腹が減ってきた。唇を噛んで書見していると、蔵の戸が開いた。足音は二つあった。梯子を掛けて登ってきたのは、菜音だった。