こんなことを殊更大袈裟に騒ぎ立てる人の気が知れない。


君代が寝返りをうった時だけは、さすがに私も息を呑んだけれど、
私を抱きしめていた純が跳び上がったのには
笑いを抑えるのに相当の努力が必要だった。


これの何に精神的意味を必要とするのか。


つまり、純と君代の関係も同じだ。
問題視するまでもない。


私と純、私と毅。
精神的な一体感の方がどれだけ希少で、愛に触れられるだろう。