お湯切れだ。


「おい。使ったら水入れとけよ。ポット空だぞ」


俺は最後に使ったのが妹であるのかは確かではなかったが取り合えず今家にいる人間に文句を言ってやらないと気が済まなかった。


返事は無い。それが無性に腹がたった。


こうなってはポットが再沸騰するのを待つより、コップ一杯分の水を直接温めた方が早い。取り合えず鍋2杯分の水をポットに注いでから、小さめの鍋に少量の水を入れ、IH
にかける。


そしてすぐに水は温度を上げ、小さな泡を発生させ始める。


ハッとした。ボーっと泡が発生しては消えを繰り返す鍋の中のお湯を眺めているとき、なぜか先ほど散歩の途中で出会ったあの不思議な雰囲気を持った女性のことを考えていた。


「美人だったな」


無意識にでた言葉だった。


端正な顔立ち。長くしなやかな黒髪。そして何より十代の健全な男子には過激過ぎるあの格好。


いわゆる鼻血物だ。色々と妄想が広がりかけるのを自制する。


それにしても、あんな格好で恥ずかしげも無く堂々とよく歩けるなと思った。


「この辺では見掛けない人だったな」


またボソリと独り言を呟く。


あんなに綺麗な人をこの19年間見たことが無かった。


高いヒールで地面を鳴らし、この寒さの中、コートの前を留めることなく、風になびかせ……。


もう一度彼女の姿を脳内で再構成してみると、やはりどこかおかしいことに気付く。


ちょっと待て。美人さに騙されるな、俺。おかしいだろ。こんな真冬にあんな格好。どんなに寒さに強くてもやはりあの格好はおかしい。


しかもすれ違った時のあの妙な感覚。まるで……そう、一瞬死んだような。


その時、沸騰しきった鍋から熱湯の粒が手に跳ね飛び、否応なしに思考は中断された。


「熱っつ」


手をぶるぶる振って熱さを冷ます。


はぁ、ったく。どうせもう会うことも無い人間のこと考えてもしょうがないだろ。


俺は熱湯をカフェオレの粉末が入ったカップに注いだ。