京の街は大騒ぎとなっていた。

 太閤秀吉は自分の甥、関白秀次を非行と謀反の罪で高野山に蟄居させ、三十余名の眷属を秀次の首の前で撫で斬り(皆殺し)にするという噂で持ちきりだ。

 勿論、この噂は秀吉側から意図的に流されたものに違いなかった。

 そして数日後、関白秀次は豊後の国に三万五千石の領地を持つ、木下大膳大夫吉隆の三百の兵に囲まれ高野山青巌寺に移された。

 切腹を申し渡された秀次に従って追い腹を許されたのは、馬廻り役雀部淡路守、近従の不破万作(十七歳)、山田三十朗(十九歳)、山本主膳(十九歳)。

 修理は愕然とした。
 儂しか出来ぬ事があると万作は言うが、一体何をすれば良いのだ!

 切腹の日は十五日と決まった。

 捨吉が、息を咳ききって庄左右衛門の屋敷に帰ってきた。懐から油紙に包まれたものを出した。
「捨吉、万作殿からか!」
「へえ!木村様の御近従からこれを・・・」
 捨吉が持って帰ったものは万作からの書状と絵図面であった。

 海道修理様
 ゑ図面のぬけみち
 その日にご加護を
 あいては参人のてだれ
 おにのやうなものども
 修理様にはお果てつかまつるやも
 いちごの契り本心なり
 あはれとおもひあれば
 ご加護を
     万作

 庄左右衛門と修理は絵図面を見た。それは高野山、青巌寺の『柳の間』と呼ばれる茶室の隣の講堂に通じる、地下に掘られた秘密の抜け穴の地図であった。

 庄左右衛門は修理を見た。

 万作は修理に関白の切腹の場に居て欲しいと願っている。
 三人の手練れとは?それに修理も討たれるかも知れないと書いてある。
 秀吉は一体何を考えている!

「行くのですか?」
 庄左右衛門が聞いた。

「ここに契りは本心也と書いてあります」
「一夜の事です。万作殿の藁をもすがりたい気持ち、分からぬでもないが、命を捨てに行くことはない。これも秀次様の御運命なのじゃ」
「・・・」

 修理は濡れ縁に座り一人考えていた。七月十四日晩のことである。