鬼人は鬼鴉の看板そのものであり、人としての繋がりよりも、名前だけのモノとして、兵士を駒として扱う為に存在する。 一方、桃華は人間として兵士に接する事を重視した為、人心を掴む結果となったのだろう。 建物があるからこそ、人がいる― 人がいるからこそ、建物が存在する― その考えに対する言いようは、イロイロとあるのだろうが、鬼人の考えは前者であり、桃華の考えは後者にあたっていた。