古性義太夫の屋敷に、目付役の内藤上総守(ないとう・かずさのかみ)という男が時々訪れる。

 義太夫とは先代の母衣衆(ほろしゅう)を努めた知己だが、主家の縁戚から正室を貰い、その手前、側室や妾を置くことが出来なかった。そのためか、美童好みに走り、これはという良家の息子を見ると小姓にくれと言うので有名だ。
 静音には早いうちから目を付けていたようだが、おなごよりも可愛い者を側に置くというのはさすがに憚(はばか)れたらしく、義太夫には何も言っていなかった。

 だが、修理の出奔の決闘騒ぎで、静音が修理の念者であったということが発覚し、修理を止めに行ったことが口々にあがって、この機に何か良い口実がないかと期待していた。

 義太夫は男三人、女二人の子を抱え、妻は最後の息子、静音を産んだ後、病で亡くなっていた。静音を見ても儀太夫の妻がさぞ美しかったことを思わせる。
 妻を愛した義太夫はそれからやもめで暮らしていた。すでに二人の男子は元服して主家へ出仕している。

 儀太夫は、静音が修理を『兄』と慕っていたのは知っていたが、特に肉体関係を結んだ様子もなく、目に余ることも無い。静音が陰流道場でかなりの腕を上げているとも聞いた。相手の修理も昔、共に戦った旧友の息子ということもあり、屋敷に来た時も礼儀正しく立派な男と考えていた。
 修理の噂を娘達がするのを聞いてゆくゆくは嫁の世話をするつもりだった。だが、無役の家では難しい。
 それに、二人の息女も妻に似て美人揃いだったが、気性も容姿も最も似た静音を内心、目に入れても痛くないほど可愛いと思っていたのだ。

 修理に馬を殺され、不甲斐なく逃げ帰った連中は、遠乗りしていて多数の野党に襲われたと言い張った。だが、峠で見ていた通行人達は修理が一人で十騎を相手にし、人の代わりに馬を斬って堂々と逐電したことを城下で喧伝した。
 人々はこの峠を『馬ノ首峠』と呼ぶ様になった。