ガラッと勢いよく開いたドアに、これまでかと観念して顔を上げた。希を気遣う様子が微塵も感じ取れない担任は振り返ることもなく教室内に入った。慌てて追いかけるように足を進める。それまで騒々しかった教室が一瞬にして無音と化し、三十六人分の視線は希に注がれた。
 さぁ、自己紹介をして。そう言うように希の背中を担任が軽く押す。ごくりと固唾を飲んで口を開こうとした。それなのに頭の中は真っ白だった。友達は要らない、だから軽く挨拶をすればいいだけなのに、今まで人とコミュニケーションをとることを怠っていたからか、三十六人の人間を目の前にして、難なく話せるほど人に馴れてはいなかったことに今頃気付かされた。


「どうしたの? 名前を言えばいいのよ」


 分かっています、頭では。担任の言葉に焦りを感じて、ますます喉の奥が詰まってしまう。
 高校三年の六月。中途半端な季節に転校してきたのには訳があった。兄の藍杜(あおと)が死んだのは今の希と同じ高校三年のときだった。兄には一つ下の佳奈(かな)という恋人がいて、高三の冬彼女が妊娠。両親に結婚を反対され、それに反発して彼女は高校の屋上で自殺未遂。そして兄はそれを止めようとしたが、結局一緒に心中してしまった。兄を刺したのは彼女のようだけれど、希にとって二人の死は多くの謎が残ったままだ。
 
 ひとつの感情に振り回されて、結局死んでしまった二人の人生は何だったの? 

 あなたのため、お前のため、そんなのどうやって信じればいいの? 


 二人が死んだ後、兄の日記を読んだことがある。兄が死ぬ前日に書いた日記に記されていたのは『佳奈は俺に、幸せになってほしいと言った。でも俺が幸せであるためには佳奈が必要なんだよ』のたった一文だけ。

 あの日二人に何があったのかは知らないけれど、本当の幸せって何? 

 希はその答えを見つけるために転校を決めた。この高校に来れば、二人が人生を終えたこの高校に来れば、兄の言う幸せとやらを見つけられるのかと思った。だから、ここで。たかが自己紹介で、くじけている場合ではないのだ。