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 先生という立場には相応しくない飴色の髪。揺れる度に、少しきつめの香水が今しがた歩いてきた廊下をなぞる。そしてそれは、臭いの元凶の後ろを歩く希を纏う。仄かな香りを楽しむ香水もここまでくると台無しだ。
 真新しさを誇示するように黒光りしたローファーが、リノリウムの床をかつかつと叩いて担任の後を追う。一歩、足を踏み出す度に感じるのは極度の緊張と嫌悪感。


「教室に入ったら、軽く自己紹介をしてね」


 はい、とは言えず希は俯いたまま微かに頷いた。その様子を見た担任が、片眉を上げて苦笑する。それを横目で見てから、希は溜息を吐いた。誰との関わりも持つつもりもない希に、自己紹介なんて必要ない。「ゆとり教育」「個性尊重」そんなスローガンを掲げた学校が、なぜ生徒に自己紹介を強要するのだろうか。他人と関わりを持ちたくない、それもひとつの個性だとは思わないのだろうか。協調性のないもの、世間の道理から逸れたものを世間から排除したがる。いつだって大人は汚い。
 このドアの向こうには三十六人の生徒がいて、新しく入って来る異物を物珍しそうに待っているのだ。兄が死んだ時もそうだった。放っておいてくれればいいのに、「大丈夫?」だとか「元気出して」だとか、偽善もいいところだ。兄を亡くした気持ちが誰に分かるというのか。『兄が死んだかわいそうな子』そんな定義付けと共に異物扱い。子供は残酷だ。そんな幼少時代の自分を思い出して、今度は深く溜息を吐いた。前に立つ担任の後頭部を見つめて、このまま逃げてしまいたい衝動を抑えるように拳をぎゅっと握り締める。