『普通』という言葉は、如何なる状況においても当たり障りなく対処できる便利な日本語である。だが、良くもなく悪くもない、曖昧な表現が時として人を傷つけるのだなと、出勤途中の電車で僕はふと考えた。

今日も大学の授業をサボり、『仕事』に励むつもりでいる。くだらない教授のつまらない講義を聞いている時間が無益であると考え始めてからというものの、空き時間を使って市街地で自作の絵を売るようになった。業績は…最悪である。でも、有益な時間だと僕は思う。