小学3年生の頃、尚美は幸せであった筈である。
「な・お・み・ちゃん」
貧乏長屋の二軒先の小沢さんちのかおりは、毎朝7時40分になると、決まって毎日尚美を迎えに来てくれた。

当時、長屋 の続く街並みは珍しくなく、どんなに貧しくとも子供にとっては、暖かい場所であった。
近所のおじちゃん、おばちゃんに叱られたり、褒められたりしながらも、ひたすら暖かい空気と時間が蕩々と流れていた。

あちこちで繰り広げられる、貧しいがゆえの派手な夫婦喧嘩も、決して殺伐としたイメージを、子供に植え付ける事は無かった。
当然、貧しさに対するコンプレックスなど、存在する筈もない。