「じーさん、どうだった?」
「うん。お父さんは元気だったわよ」
壱弥の言うじーさんとは芽衣の祖父である一寿のことで、紗江子はその一寿をお父さんと呼ぶ。
というのも、紗江子が生まれて間もなく夫を亡くした紗江子の母は、華道の家元である一寿の元で働いていた。
当時十歳に満たない紗江子は母親が仕えていた家の主である一寿を旦那様とまだ呼んでいたのだ。けれど、一寿は早くに父親を亡くした内向的な少女によく構った。
実は一寿には紗江子の二つ下に娘がいるのだが、しかしその娘にお菓子を買うときは紗江子の分も、人形を買うときにも紗江子の分、父兄参観にも前半は娘で後半は紗江子というように、一介の使用人の子供である紗江子を本当によく可愛がってくれた。
そうしてある日、紗江子が一寿を『お父さん』と呼び間違えてしまうという出来事が起こる。
自分の失態に青褪めて慌てて頭を下げると、一寿は優しく笑って、紗江子の項垂れた頭を撫でたのだ。
『なんだい、紗江子』と。
紗江子はあの時の気持ちをどう言葉にすればいいかわからないと常々言う。
ただ、一寿にしがみついて泣いた。と。
この人はずっと、自分を娘として接してきてくれたのだと、初めて気がついて、泣いた。とだけ、語るのだ。
紗江子が一寿を慕うのに、これ以上の理由なんてなかった。
「あ、そうだ壱弥」
「ん?」
くるりと頭だけを反転させ紗江子が壱弥を振り返る。今日はやけに機嫌がいいなと壱弥は首を捻った。
