「真鍋くん、水谷せんせーとそんな賭けしてたんだ?」

「まぁな。勝てば焼肉奢ってもらう約束だったんだよ。つーかそもそも負けると思わなかったし。壱弥が抜けなきゃ、な…」

元気だしなよと芽衣が慰めるが、真鍋は壱弥を恨みがましい目で見遣るだけだった。居心地の悪さに壱弥は沈黙を守り、一頻り芽衣に愚痴った真鍋が

「ま、終わった事は仕方ねーか」

と諦めたように大袈裟に溜め息を吐き出し、「そんじゃ俺帰るわ」と手を振って教室の出口の方へ歩いて行った。

「真鍋くん、また明日ー!」

芽衣の明るい声に真鍋が軽く手を上げ、壱弥はふっと息を吐いた。

「なーんか悪いことしちゃったみたいだね」

「誰のせいだと思ってんだよ?」

「イチ」

きゃはっと肩を竦めて笑う芽衣が小さくて可愛かった。

何気無い素振りで、芽衣の巻きが緩んだウェーブの黒髪を指に絡めて弄る。

柔らかい、子猫の毛並みたいにふわふわの感触が、するすると指の隙間を滑り下りていく。

愛しい。と、思う。誰より何より、愛しい。と。

「ねえ」

らしくもなくか細い声。壱弥は呼吸に逆らわない穏やかさで「なに?」と続きを促した。

「変なとこ、ない?今日もちゃんと可愛い?」

「かわいいよ」

「ほんと?」

「大丈夫。ちゃんとかわいいから」

囁き合うように会話する二人は、確かに騒がしい教室の中にいるのに、どこか別世界に隔離されたみたいな空気を纏っていて、それに気付いたクラスの女の子が眉を顰めた。

人が言う噂に、瀬川壱弥は誰とも本気で付き合わない。だから遊びなら付き合ってくれる。というのがある。

それは事実だ。

本人も否定しなければ、過去に何人かそんな付き合い方をされた女の子が校内にいるのだから。

どうして本気で付き合わないのかと問われれば、壱弥は必ず華原芽衣が好きだからと答える。

それもまた、事実だった。


けれど、そんな最悪な男である壱弥は未だ女の子に人気があるのだ。

理由を挙げるとすればまず壱弥は顔が良い。黙っていると少々軽薄そうに見えるその顔は、笑うと信じられないくらい優しく柔和に破顔し、そのギャップがまた女の子の心を掴むのだろう。