小悪魔は愛を食べる

もう一言、なにか言ってやらなければならない気がして壱弥が絢人を振り返った。
けれどその視界の端に、見慣れた黒髪の少女が階段から下りて来るのが映って、開いた口は塞がった。
少女は三人を見つけると一瞬戸惑い、一歩後ろに退いて、それでも三歩よたよたと進んで、漸く可愛らしい顔を上げた。

「くっ…くら、さわ…くん」

半分裏返るみたいに呼ばれ、絢人が伏せていた視線を向ける。
すると途端に、絢人の無機質な色の無い瞳が柔らかく細められ、薄い唇が少女の名前を溢した。「華原」と。

「こ、こここれ!これ…ありが、と」

耳まで赤くして、そっぽを向きながら、抱えたプリントの束を指して礼を言う芽衣のどうしようもない可愛らしさに、絢人が一歩踏み出した。
すたすたと近付いてくる絢人の姿が芽衣を逃げ腰にする。が、「あ、ぅあ」と意味をなさないまぬけな声が漏れ出るだけで、どこにも逃げ場所はなかった。

「ちゃんと勉強しなよ」

「うう、うん!する、よ」

「もし赤点とったら罰ゲームね」

「なにそれ!うう嘘だよ、ね?」

「嘘だよ」

悪気の無い笑顔に芽衣の口がぽかんと無防備に開き、睫が幾度か上下し、やがてからかわれたのだと気付いて「いじわる!」と唇を尖らせた。

そんな二人の様子を無言でみつめていた凛子と壱弥。
ちらりと窺い見た壱弥の視線の冷たさに凛子は嫌な汗をかき、どうしたものかと頭を悩ませるが、それは壱弥が発した一言で杞憂に終わる。

「芽衣、倉澤と仲いいんだ?」

「よくないよ!」

「よくないの?」

勢いづいて良くないと返した芽衣に、絢人が問う。芽衣の口が「あ」と形取った。

「…え、えっと、あの…べ、べつに…まぁ、わ、悪くも、ないと…思うけど」

しどろもどろ、ごにょごにょと言いにくそうに喋る姿が無駄に愛らしくて、壱弥の目が柔らかく穏やかに眇められる。
愛しいと、目が全部を語っていた。

「瀬川」