小悪魔は愛を食べる


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「くっらさっわくーん。こんにちは」

つま先から頭の天辺まで、満遍なく視線で舐め回されて、絢人は眉根を寄せて男を見遣った。

上げた視線の先、廊下の冷たい壁に腕を組んで寄りかかっているのは、瀬川壱弥。

だらしなく着崩した制服、赤茶色の髪に、軽薄そうだが、確かに綺麗な造りをしている顔。
しかしその、笑うと柔和だと少女達の間で評判の彼の笑顔は、今はひたすらに暗く淀んだ陰でもって絢人を見据えていた。

「昨日はうちの芽衣ちゃんが随分お世話になったみたいで、すみませんでしたね」

三日月を彷彿させる歪んだ口元がいやらしく舌なめずりをして、卑猥さを醸し出す。
一体、どのあたりが柔和なのだろうか。表情ひとつで、大分イメージが変わるものだと変に感心しながら、絢人は壱弥を通り過ぎた。

「おい、シカトはないんじゃね?」

手が、無防備な絢人の肩を掴まえて反転を強要する。その加減をしらない力任せな無作法に呆れ、けれどやれやれと絢人は振り返った。

「ちから、ゆるめて」

痛いのだと眉を顰めてみせれば存外、壱弥は簡単に手を離して、絢人の目を睨みつけた。純粋な憎悪がぴりりと神経を逆撫でする。が、それは壱弥も同じだったらしく、開いた口から出た言葉は率直だった。

「わり。俺、お前の事すっげー嫌いだから、つい力んじゃったみてぇ」

とても悪いと思っている人間の態度ではない壱弥の眼光の鋭さと声音は、絢人の不機嫌に拍車をかけた。
ただでさえ寝不足で機嫌も体調も芳しくないのだ。これ以上、この男に関るのは自分にとってマイナスにしかならないとわかりきっている。けれど何故か絢人の足は動かない。動くなと、何か不思議な力に押さえつけられているように、だ。

「んで、こっから本題なんだけど」

動かない足の奇妙な感覚に意識をもっていかれかけた所で、現実に呼び戻す壱弥の声が絢人の鼓膜を震わせた。

「なんでお前はうちの芽衣ちゃんにちょっかいかけてんの?」

怒りや焦燥を押し殺した低音が、耳に心地良く滑り込む。普段が優男風な為か、その陰湿なギャップが新鮮で、思わず絢人の口が弧を描いた。
途端、壱弥の目が眇められる。