修理は足取り重く譜代長屋から数町離れた家に戻った。五人扶持の筈だが、もう身体が動かせず寝込んだままの父はお役ご免となっていた。家督を継がせようにも何も無い。破れ掛けた一軒家の廻りの土地は地味が悪く何を植えようにも思うようには成らなかった。いつしか小作人も逃散してしまった。逃散させたことを咎に問われ、扶持を主家から止められた。
 修理は父に帰りましたと声を掛けると、荒れた畳の寝室と居間を兼ねる部屋の隅に置いてある、母の位牌の前に座り手を合わせた。
 師の流派はお留め流(主家専属の流儀)ではない。道場は主家から借りているが身分は牢人である。師の目の治療代や道場の賄い費を出すと月謝だけでは余裕はなく、師範代の賃金も雀の涙ほどでしかない。
 父は長く労咳に苦しんでいるが、若い頃戦場を走り回った強靱だった肉体が却って、その苦しみを長引かせていた。
「・・・修理。何か道場であったのか?」
 ぜいぜいと言いながら父は聞く。
「・・・いえ。何も。食事の支度をします」
 修理は土間に立って、密かに森で狩った鳥や兎の干し肉をほぐし、麦と稗の粥に入れた。野菜は山で取れた山菜を漬けたものである。武士と雖も戦場でひもじい時は自分で何とかするものだ。餓死することはない。ただ滋養のあるものが手にはいるかは別の話だが。
「・・・苦労を掛けるな」
 修理ははっとして父を見る。
「何を仰られます!私は苦労などしておりません!父上が教えてくれた武芸の基礎があったればこそ師範代にまでなれたのです」
 父は寂しそうに笑った。
「先代までは儂等も安心して暮らすことが出来た。だが、お世継ぎは先代が疎まれた近従に囲まれ、治世も変わった。末端までのご理解が出来ていない」