この時代、衆道の対象の少年を年上の若者達は取り合った。
 念者になるのに、相手が家老の息子でも長男でなければ身分の差はさほど障碍にはならなかった。念者、念友の関係になれば、双方が長じて妻帯しても続き、その誉れは武家の華と云われる。
 主家内でも実力者の父を持つ静音を、念友にしたいと実際に行動に出られるのは専ら譜代家臣の子弟だった。
 反対に下級の者が手を出そうとすると、それを排斥した。戦乱が収まり十年も経つと、主君を頂点とした生き残りの求心力は弱まり、管理と保身の術に長けた者が台頭してくる。即ち古風なもののふには辛い時代がやって来たのだ。

 新右衛門に言われ、修理が静音と同道しているときに、譜代組で常に徒党を組んでいる十人ほどに取り巻かれた。そのころはまだ修理も師範代にはなっていなかった。静音を奪って皆のものにしようと襲いかかった。その野獣の様に静音を見る目に小さな静音は怯えた。
 修理は殴られても必死に耐え、静音を守った。古性家の家人が来るまで修理は小さな静音をかき抱き、背を打たせ蹴らせて守ったのだ。古性家に担ぎ込まれ手当を受けたが、修理は二晩、痛みと高熱にうなされた。その側に一睡もせずに看病する静音がいた。
 そのときから静音は修理を『兄』と慕うようになった。
 修理に負担をかけまいと静音は修理とともに剣に打ち込み、今は十六の若年と雖も道場の数人の高弟に次ぐ腕を持つまでになった。

 兄と呼ばれ終生の友として絆を結ぼうと修理は考えた。だが、いつからかその無邪気な顔が心なしか妖しく映る様になった。自分にだけ見せる無防備な可愛らしい口を吸いたいと思う様になった。
 隠すのだ。静音は歴とした男の子だ。