「そういえば,倫子さ。
あの人・・・名前なんて言った・・・
ほらほら。伊佐見くん。どうしてる?」

いきなりだった。
ずっと私の前に出てくることのなかった名前が,私の耳に大きく響いた。

私の心臓は急に鼓動を打ち始めたかのように,ドキドキと鳴り出し,受話器を持つ手が震えた。

パソコンの画面から視線をはずすと,
自分を落ち着かせるために,
天を仰ぎ眼を閉じた。



「ね,倫子。伊佐見くんと連絡とったことあるの?元気にしてるの?」

直子の畳み掛けるような質問に,
私は自分の心の奥底に大切にしている彼への想いを土足で踏みにじられた気持ちでいっぱいになってしまった。

きっと直子は,
ふと思い出したように出した言葉だったかもしれない。

しかし,
私はこの電話をどうやって早く切ってしまおうかと,そればかりを思い始めた。

そのとき,急にモモが玄関で,吠え始めた。



「ごめん。直子。誰かきたみたい。また電話するわ。」 
そう言って,私は半ば強引に電話を切った。



私は,大きく息をしながら,玄関へ向かった。

宅配便の人が荷物をもって立っていた。
私のその荷物を受け取ると,
印鑑を押して部屋に戻った。



ソファーに腰をおろすと,
直子が発した
「伊佐見」のことを思い出して,
胸がいっぱいになった。



あの男が発した声音と
同じ声をもっていた伊佐見 真人。

私が大学時代,
なによりも私の中心だった人。
そして,私が死ぬまで愛している唯一の人。



私は携帯を取り出し,
シークレッドモードを解除して
真人の番号を画面に出した。

この番号は決して押すことができない。

私はしばらくその画面を凝視して,
小さくため息をつくと,携帯を閉じた。



そして,車のキーをもって,
モモを連れて海に向かった。

真人への気持ちでいっぱいになってしまった私の心を静めるには,海の波音をきくのが一番だからだ。

このときばかりは,この島にきてよかったと心から思う瞬間だった。