幼なじみの冷徹な王太子に恋をして

「こんにちは、ホランさん。」

 ミレイユはホランの家を訪ねた。ホランはミレイユを快く迎え、収穫したばかりの野菜について得意げに語った。

「これは、今年はじめて収穫したんです。なかなかいい出来だと思いませんか。収穫量も安定していますし、このままいけば、市場へ卸すこともできると思っています。」

 ホランは話しながら、アルバートに次々と野菜を手渡していく。お土産に持って帰れということのようだ。

「ついでにこれも持って行ってください。えっと、他に何かなかったか……」

 こんなにたくさんの野菜を収穫できる農地を移転するように言われて、ホランが何も思わないはずがない。

 移転についてどう思っているのか。城や事業を進めるクラディスのことを、やはりよく思っていないのだろうか。

 聞きたいことはたくさんある。けれど、クラディスへの不満を聞かなくてはならないと思うと、なかなか話を切り出せない。

 すると、ミレイユの気持ちを察したかのように、ミゲルが帰ってきた。

「先生!来てたんですね!」
「おかえりなさい、ミゲルくん。」

「ミレイユ様のおかげで、ミゲルはこんなに立派になりました。将来は本を書きたいなんて言っていましてね。」
「なんで言うんだよ、父さん!」
「ははは、すまんすまん。ついな。」

 字を読めなかったミゲルが、今では本を書くことを将来の夢にしている。ミレイユは胸がいっぱいになった。

「本を書くためには、たくさんの言葉を知る必要があります。頑張らなくてはいけませんね。」
「はい、先生……あ、そうだ、わからないところがあるんです。教えていただけませんか?」
「もちろんよ。」

 ミレイユはミゲルに勉強を教えはじめた。ホランに話を聞かなくて済んだことに、内心ホッとした。

──コンコンコン

 扉を叩く音がして、ホランは客人の応対をするために外へ出て行った。しかし、なかなか戻ってこない。どうしたのかと思って玄関の扉の方に目を向けると、ミゲルがぼそりと呟いた。

「たぶんお城の人です。最近よく来てるから。」
「お城の人……」

 官僚が移転について話をするために訪れているのだろう。

「お城の人は、僕たちにここから出て行けって言うんです。どうしてそんなことを言うのでしょうか。」

 ミレイユが口を開こうとすると、ホランの大きな声が聞こえてきた。

「もう帰ってください!」

 ミレイユは勢いよく玄関の扉を開いた。外にいた官僚は目を見開いている。

「ミ、ミレイユ様!?」
「ごきげんよう。どうかなさったの?」

 ミレイユは素知らぬふりをして尋ねた。

「ミレイユ様、すんません……こればっかりは納得できません。俺たちは……ずっとここで生活してきたんです……」

 ホランはぐっと手を握りしめて、苛立ちを抑えている。

「先生、僕たちはどうして引っ越さなくてはならないのでしょうか。ここを離れたら野菜を作れなくなりますし、先生の授業も受けられなくなってしまいます。」

 理由を知っていたら、ホランやミゲルに説明することができた。でも、クラディスは教えてくれなかった。

「国が移転を求める理由を、彼らに説明していただけますか?」

 ミレイユが問いかけると、官僚はミレイユだけに聞こえる声で囁いた。

「殿下の許可が下りておらず、今はお伝えすることができないんです。」

 ミレイユははっとした。クラディスは教えてくれなかったのではない。理由を言えない事情があったのだ。

「では、あなたは何を伝えるためにいらしたの?」
「移転の場所と補償についてご説明いたします。」

「補償があるの?」
「はい。生活に支障が出ないよう、できる限り補償いたします。」

「先生……」

 ミレイユは不安そうなミゲルの方を向いた。

「ごめんなさい、ミゲルくん。引っ越さなくてはならない理由を、今は説明することができないみたいです。」
「そんな……理由もなく出て行けなんて……」

 理由を明かさずに引っ越しを迫るなんて間違っている。けれど、クラディスの事業はきっと彼らのためになる。話だけは聞いてほしい。

「納得がいかないことはわかります。だから私も一緒に話を聞きます。ミゲルくんも一緒に聞きましょう。」
「僕もですか?」

「彼はお城で働いている優秀な官僚さんです。話し方や言葉遣いをよく聞いてください。難しい説明は確認して書き留めましょう。勉強になりますよ。」

 ミレイユの言葉を聞いたミゲルは頷き、自身を納得させるようにもう一度頷いた。

「父ちゃん、話を聞いてみよう……?」

 ホランは納得がいかない様子だが、何も言わずに家の中に戻っていった。そして全員がテーブルにつくと、官僚の説明が始まった。

「移転先はこちらです。少し狭く見えるかもしれませんが、面積は現状と変わりません。それから……」

 反論もせず、静かに話を聞いていたホランだったが、引っ越しの話になると、顔が険しくなった。

「私はここを離れるつもりはありません。ここは、大事な土地なんです。」

 理由を説明しないまま引っ越しを強制することは難しい。話し合いを切り上げなくてはならないと思われたが、官僚が広げた地図を見て、ミゲルが声を上げた。

「見てよ、父さん!ここなら本屋に歩いて行けるよ!」

 今の場所から本屋のある商店街へ行くには、馬を使わなくてはならない。ミゲルの家には馬がなく、近所の人の荷馬車に乗せてもらっていると聞いた。引っ越し先の場所からは、歩いて行くことができる。

「父さん、僕はこっちの場所の方がいいと思う。収穫した野菜を届ける市場も近いし。一から畑を作るのは大変だけど、父さんなら平気だろ?きっとすぐに野菜ができるんだから。」

 ミゲルの言葉にホランは笑みを浮かべた。ホランは農地の移転にはそれほど抵抗がなかったようだ。野菜を作る腕には自信があり、どんな土地でもやっていけるという自負があったのだろう。

「あの、今のところをもう一度お聞きしてもよろしいですか。」

 官僚の話を聞いている間、ミゲルは何度も質問し、必死に書き留めていた。話し合いの終盤になると、ホランの表情は穏やかなものに変わっていた。

「ありがとうございました、ミレイユ様。」

 無事に話し合いを終え、官僚はミレイユに頭を下げた。

「補償があることをわかりやすくお伝えしてみてください。国が見捨てるつもりでないとわかれば、話を聞いてくださる人もいると思います。」

 補償の話を聞いて、ホランはいくらか安心したように見えた。納得はできなくても、補償は引っ越しを決断する後押しになる。地道に説明を続ければ、移転を受け入れてくれる領民が増えるかもしれない。

「ねぇ、アルバート……?」
「どうなさいました?」

 クラディスが進める事業は必ず国の利益になる。しかし、国の利益になることが個人の幸せに繋がっているとは限らない。

 クラディスのために花を摘みたいという願いが、摘んではならないという決まりを前に、実現しなかったように。

 けれど、クラディスはそのことをちゃんとわかっている。住み慣れた場所を離れる人に、あれほど手厚い補償が用意されているとは思わなかった。

「クラディス様ってすごいのね。」
「左様でございますね。」

 空には星が輝いていた。

 屋敷へ戻ったミレイユは、部屋まで送り届けてくれたアルバートにお礼を言った。アルバートが一緒にいてくれたおかげで、帰りが遅くなっても咎められなかった。

「お出かけの際は護衛をおつけください。怪我をされては困ります。」
「わかったわ。ありがとう、アルバート。」

 ミゲルの成長を見て、やってきたことに間違いはなかったと思えた。でも、まだ十分とはいえない。

 先生や教室の数が限られているために、希望するすべての子どもを受け入れることはできていないし、領地の外からも通いたいという声がある。

 国中の子どもたちが通えるようになってほしい。ミレイユは各地に学校を建てたいと考えていた。

 しかし、自分の力では領地の中に小さな教室を開くことしかできない。だけど、クラディスならあっという間に実現してしまうのではないか。

「……っ!」

 突然寒気に襲われて、ミレイユは身体を丸めた。

 クラディスに対して、自分はまるで無力だ。学校を建てたいという夢を抱いているだけで何もできていない。

 クラディスのそばにいたいと願い、懸命に取り組んできた。でも相手はあのクラディスだ。常に冷静な判断を下し、人々の生活にまで目を配ることができる。

 そんな非の打ち所がない王太子の相手として、自分は相応しいのだろうか——

 握りしめた手は、小刻みに震えていた。