砂の味がする。
全身磯の香り。
張りつく髪や服が煩わしいったらない。
ゆっくり重い瞼を開ける。
昼と見紛うほどの星空が地平線と森の向こう側に見えた。
私は――どうやら、生きているらしい。
気怠い体に鞭打って、よたよたと上半身を起こす。
服が重い。
頭を抱えながら辺りを見回すと、一面が砂。
砂浜……その向こうに原っぱ。
そして、見間違いでなければ家のようなものが見える。
後ろを振り返ると、真っ黒な海。
その海をぼーっと見つめた。
見つめていても穏やかな波が引いては寄せてを繰り返すのみ。
他の生き物の気配はまったくなく、改めて見回しても……浜には私しかいない。
持ってきた鞄も……なくなっている。
そうよね。流れてしまったわよね。
肌がカピカピになって、髪が半乾きになるまで現実を受け入れられなかった。
「ここにいても……しょうがないわね……」
自分に言い聞かせるように呟いてから、ドレスのスカートを絞って多少軽くして立ち上がる。
張りついてくるけれど、あの小屋のような場所まで我慢。
浜から離れて、改めて振り返る。
海が見える。
綺麗な星空。
現実を受け入れるしかないようだ。
私は遭難したのだと。
なんでこんなことになった?
すべての始まりは三日前――。
「すまん! ウィズ! 我が家、財産没収されることになった!」
「は――はあ……!?」
母が亡くなって三年。
婚約者との結婚を先延ばしにされて一年。
貴族学園から卒業してすぐに婚約者の家に行くのがこの国の常識。
けれど、母がいないことで私は女主人としてこの家――バーバランド伯爵家を切り盛りしてきた。
父が定期的にギャンブルで借金を作るから、見張りをつけて父の夜の外出を制限したりもしてきたというのに……!
「そ、それでなぁ……お前の婚約者、オスカーくんの家に借金を肩代わりしてくれないかと頼んだのだが」
「は、はあ!? な、なにを勝手な……! そんなの無理に決まっているでしょう!?」
「そうなんだよ。無理だった! で、その場で婚約白紙を突きつけられた! わははははは! いやあ、すまんすまん」
「……っっっ!?」
言葉も出ないとはこのことか。
なにを言っているのか、この父は。
この人は本当に私の父か?
母が生きている頃はこんな人ではなかった。
愕然として、膝から力が抜ける。
咄嗟に近くのソファーの背もたれに手をついて、頭を抱えた。
「なにを、言って……父さん……なにを言っているの……? 財産を没収? オスカーとの婚約白紙……? それって……!」
「あ、ああ。まぁ、その……このままだと廃嫡だな」
「笑い事じゃないわ! なにを考えているの!? 領民や使用人たちをどうするつもり!?」
「待て待て落ち着け! ちゃんと考えてる!」
頭に血が上り、目の前が真っ赤になる。
頭痛がしてきて、全身の熱が沸騰しているみたい。
くらくらする。
冷静に父さんの言葉が聞けない。
落ち着いて。
落ち着きなさいウィズレット。
母さんにもよく言われていたでしょう?
冷静に。
『人の話は最後まで聞きなさい』『最後まで聞いてから、冷静に頭の中で砕いて本質を見極めなさい』って!
特にうちの父さんは、ヘラヘラして本心をひた隠す悪癖があるから、って!
落ち着いて、父の話を最後まで聞いてみようじゃないか!
「で? 父さんはここからどう挽回するっていうのかしら? 聞かせてもらおうじゃないの!」
「お、おお……。え、ええと……こ、国王陛下が救済処置としてな、お前に隣国の島国ロヴァッティ王国の公爵様との結婚はどうかとおっしゃってくださったんだ。ロヴァッティ王国の国王が『放蕩愚弟の嫁を探している』と常におっしゃっていたらしくてな。その……かなり、わんぱくな方で……海賊の真似事をしておられるそうで……なかなか身を固めてくださらないそうだ」
「か……海賊……!?」
「真似事だ! 真似事! 王族に連なる方が本当に海賊をやっているわけがなかろう!」
体がぷるぷる震えている。
自分でもどうしようもないぐらい頭に血が上っているみたいだ。
隣国、ロヴァッティ王国。
無数の島がある諸島を、ロヴァッティ王家が納めている海の楽園と呼ばれる国。
しかし、その実三つの大陸に挟まれていることから、隣接する国々に幾度とない侵攻を受け海賊が今もなお増え続け、交易の中心地となっているにも関わらず海上の治安はかなりよくないと聞く。
その海賊を襲う義賊、交易船を守るロヴァッティ王国海軍、地元の漁民など――ロヴァッティ王国の海は抗争で溢れている。
国民性は朗らかであり、義理堅く、血の気が多い。
そんな国に……私一人で嫁げというの!?
しかも公爵様!?
「そ、そもそも、家格が合わないのでは!?」
「いや、まあ、その……海賊の真似事をしておられる方で、二十も中ば。現国王の二番目の弟らしいが、滅多に陸に戻られないそうで……嫁も嫁候補も皆実家に帰るそうなのだ……。まあ、その……だから……」
「……私に……公爵様とともに船に乗る妻になれというの……!?」
「い、いやぁ! そこまでは……言われておらんよ?」
ははは、と乾いた笑い。
ば……馬鹿ではないの……!?
海賊が跋扈する海で、船で生活しろ……!?
そんなの……死ねと同義じゃない……!
「だ、だが、お前がその公爵様に嫁げば借金はもちろん、我が家の領地を国王陛下に返還して他の貴族が納めてくれるらしいよ。は、はは……。使用人も引き続き、新しい領主が雇うと約束もしてくれる。お、俺のこともそのまま新しい領主が雇ってくれると言ってくれてな? つまり、お前が、その……公爵家に嫁げば、な?」
「な? じゃ、ないわよー!」
思い切り床を踏む。
大きな音が出る。
淑女としてはありえない行動。
でも! だとしても! やらずにはいられない!
だってこの親父、私を金で海賊に売っぱらうと言っている!
国王様も! 私のことを交易の中心地であるロヴァッティ王国への貢物ぐらいに考えている!



