暖房が効きすぎた営団地下鉄・丸ノ内線の車内。
吊り革に掴まる彼女の視線の先、週刊誌の中吊り広告には「山口百恵 引退」の文字。隣の紙面には「王貞治 現役引退」の大きな見出しが躍っている。
どこか色あせて見えるその文字を冷めた眼差しで見つめたあと、彼女の視線は、暗い窓ガラスに映る疲れ果てた自分の姿へと移った。
誰もが時代の変化に背中を押されるように、急ぎ足で生きている――そんな1980年の、肌寒い季節のこと。
乗り換えのため新宿駅で降りた彼女は、杉並方面へと向かう中央線のホームへ足を向ける。
そのせわしない人混みの途中、彼女がいつものように立ち止まるのは、駅の隅にある黒い伝言板の前だった。
彼女――浅田美幸にとって、それは自分宛ての言葉が書かれるはずのない場所だった。
けれど、チョークの跡が無数に重なるその黒い板には、行き交う人々の剥き出しの思いが込まれているように感じられた。
大学時代、わずか三ヶ月だけ付き合った男と、悪ふざけで互いの名前を書き残した記憶がうっすらとある。
彼女が伝言板に触れたのは、後にも先にもそれきりだった。
淡い恋心を思い出すように、あるいは過去のページをめくるように、仕事帰りにこの伝言板に目をとおすことが、いつしか彼女の日課になっていた。
吊り革に掴まる彼女の視線の先、週刊誌の中吊り広告には「山口百恵 引退」の文字。隣の紙面には「王貞治 現役引退」の大きな見出しが躍っている。
どこか色あせて見えるその文字を冷めた眼差しで見つめたあと、彼女の視線は、暗い窓ガラスに映る疲れ果てた自分の姿へと移った。
誰もが時代の変化に背中を押されるように、急ぎ足で生きている――そんな1980年の、肌寒い季節のこと。
乗り換えのため新宿駅で降りた彼女は、杉並方面へと向かう中央線のホームへ足を向ける。
そのせわしない人混みの途中、彼女がいつものように立ち止まるのは、駅の隅にある黒い伝言板の前だった。
彼女――浅田美幸にとって、それは自分宛ての言葉が書かれるはずのない場所だった。
けれど、チョークの跡が無数に重なるその黒い板には、行き交う人々の剥き出しの思いが込まれているように感じられた。
大学時代、わずか三ヶ月だけ付き合った男と、悪ふざけで互いの名前を書き残した記憶がうっすらとある。
彼女が伝言板に触れたのは、後にも先にもそれきりだった。
淡い恋心を思い出すように、あるいは過去のページをめくるように、仕事帰りにこの伝言板に目をとおすことが、いつしか彼女の日課になっていた。



