一週間前の放課後。
僕はいつものように、旧校舎の屋上へと続く階段を上っていた。
手に持っているのは、父から受け継いだ型落ちの一眼レフ。
手に伝わるどこか重々しいその感触が、今の僕には苦しく感じてしまう。
「……あれ?」
屋上のドアを開けた瞬間、突風が吹き、春の匂いに混じって、甘い香りが鼻をくすぐった。
そこには先客がいた。
フェンスを背にして、一人の少女が立っている。
秋月凛。
この学校で彼女の名前を知らない者はいない。
成績優秀、容姿端麗。誰に対しても平等に優しく、けれど誰にも深入りさせない――そんな、絵に描いたような少女。
彼女は僕に気づくと、驚くようでもなく、ふわりと微笑んだ。
「こんにちは。写真部の一ノ瀬くん……じゃなくて、浅霧くん、だったよね?」
「……どうして僕の名前を」
「図書室の名簿でよく見かけるから。古い写真集ばかり借りてる、変わり者の浅霧結人くん」
彼女は悪戯っぽく笑いながら、僕の首から下げられたカメラに視線を落とした。
僕は反射的に、カメラを背後に隠す。
「そんなに警戒しないで。ただ、そのカメラ、すごく格好いいなって思って」
「……ただの古い機械だよ。それにもう、やめるつもりなんだ」
「やめちゃうの? もったいないな。君が撮る写真、私、好きなのに」
心臓がドクン、と鳴る。
彼女はゆっくりとこちらに歩み寄り、僕のすぐ隣でフェンスに寄りかかった。
夕日に照らされた彼女の横顔は、校内の噂以上の透明感を放っていた。
あまりに綺麗で、けれど、どこか危うい。
「ねえ、浅霧くん。一つ試してみてもいい?」
「何を」
「そのカメラで、私を撮ってみて。もし私が、自分のことを『いいな』って思えたら、君はカメラを続ける。どう?」
突拍子もない提案だ。
けれど、断る理由も思いつかない。
僕は渋々カメラを構え、ファインダー越しに彼女を捉えた。
ピントを合わせる。
その瞬間、僕は息を呑んだ。
ファインダーの中の彼女は、笑っていた。
けれど、その瞳の奥には、僕が抱えているのと同じ――いや、それよりももっと深く、暗いなにかが静かに沈んでいた。
カシャ––––––シャッターを切る。
画面に映った彼女は、確かに美しい。けれど、どこかこの世のものとは思えないほど、現実感がなかった。
「……どうかな?」
そう言い彼女が画面を覗き込む。彼女はしばらくの間、黙ってその写真を見つめていた。やがて、彼女はぽつりと呟いた。
「すごい。私、こんな顔して笑ってたんだ」
その声は、震えていた。
喜びというよりは、何かを諦めたような、ひどく悲しい響きだった。
「合格。……浅霧くん、君に頼みたいことができちゃった」
彼女は僕を見上げ、まっすぐな瞳でこう続けた。
「一週間後、またここで。君にしか頼めない、大切なお願いをしに来るから」
そう言って彼女はまたねと言い残し去っていく。この場に彼女の甘い匂いだけが残される。
これが僕と彼女の始まりだった。
光の中にいる彼女と、影の中にいた僕。あの日、彼女が何を考えて僕を呼び止めたのか。
その答えが「遺影」という言葉になって僕を殴りつける七日前のことだった。
僕はいつものように、旧校舎の屋上へと続く階段を上っていた。
手に持っているのは、父から受け継いだ型落ちの一眼レフ。
手に伝わるどこか重々しいその感触が、今の僕には苦しく感じてしまう。
「……あれ?」
屋上のドアを開けた瞬間、突風が吹き、春の匂いに混じって、甘い香りが鼻をくすぐった。
そこには先客がいた。
フェンスを背にして、一人の少女が立っている。
秋月凛。
この学校で彼女の名前を知らない者はいない。
成績優秀、容姿端麗。誰に対しても平等に優しく、けれど誰にも深入りさせない――そんな、絵に描いたような少女。
彼女は僕に気づくと、驚くようでもなく、ふわりと微笑んだ。
「こんにちは。写真部の一ノ瀬くん……じゃなくて、浅霧くん、だったよね?」
「……どうして僕の名前を」
「図書室の名簿でよく見かけるから。古い写真集ばかり借りてる、変わり者の浅霧結人くん」
彼女は悪戯っぽく笑いながら、僕の首から下げられたカメラに視線を落とした。
僕は反射的に、カメラを背後に隠す。
「そんなに警戒しないで。ただ、そのカメラ、すごく格好いいなって思って」
「……ただの古い機械だよ。それにもう、やめるつもりなんだ」
「やめちゃうの? もったいないな。君が撮る写真、私、好きなのに」
心臓がドクン、と鳴る。
彼女はゆっくりとこちらに歩み寄り、僕のすぐ隣でフェンスに寄りかかった。
夕日に照らされた彼女の横顔は、校内の噂以上の透明感を放っていた。
あまりに綺麗で、けれど、どこか危うい。
「ねえ、浅霧くん。一つ試してみてもいい?」
「何を」
「そのカメラで、私を撮ってみて。もし私が、自分のことを『いいな』って思えたら、君はカメラを続ける。どう?」
突拍子もない提案だ。
けれど、断る理由も思いつかない。
僕は渋々カメラを構え、ファインダー越しに彼女を捉えた。
ピントを合わせる。
その瞬間、僕は息を呑んだ。
ファインダーの中の彼女は、笑っていた。
けれど、その瞳の奥には、僕が抱えているのと同じ――いや、それよりももっと深く、暗いなにかが静かに沈んでいた。
カシャ––––––シャッターを切る。
画面に映った彼女は、確かに美しい。けれど、どこかこの世のものとは思えないほど、現実感がなかった。
「……どうかな?」
そう言い彼女が画面を覗き込む。彼女はしばらくの間、黙ってその写真を見つめていた。やがて、彼女はぽつりと呟いた。
「すごい。私、こんな顔して笑ってたんだ」
その声は、震えていた。
喜びというよりは、何かを諦めたような、ひどく悲しい響きだった。
「合格。……浅霧くん、君に頼みたいことができちゃった」
彼女は僕を見上げ、まっすぐな瞳でこう続けた。
「一週間後、またここで。君にしか頼めない、大切なお願いをしに来るから」
そう言って彼女はまたねと言い残し去っていく。この場に彼女の甘い匂いだけが残される。
これが僕と彼女の始まりだった。
光の中にいる彼女と、影の中にいた僕。あの日、彼女が何を考えて僕を呼び止めたのか。
その答えが「遺影」という言葉になって僕を殴りつける七日前のことだった。
