ブルーヘヴンの彼方に


   ☆
「はい〜ィ、みんなお待ちかねのォ、ハーフのイケメン君を連れてきましたよォ〜!」

 一年ほど前。
 山本君に無理矢理連れ出された合コン。
「キャー! 本当だ!」
「王子様みたい!」
「日本語OK?」
(……帰りたい)
 最初から僕は完全に客寄せ扱いだった。
 一緒に連れて来られていたのは、もう一人。
 眼鏡をかけた、気弱そうな青年だった。
「どうも、初めまして」
「あ……初めまして。佐々木です」
「ああ、山本君の友達?」
「……まあ」
 その間。
 絶対違う。

「僕は神城。山本君とは専門学校が同じで」
「美容師の?」
「そう。今日も断ったんだけど、結局連れて来られて」
「やっぱり……」
 彼は小さく息を吐いた。
「僕も昔からあいつに絡まれてて。見ての通り地味だから、よく馬鹿にされるんだ」
 同じ中学出身というだけで、友人ではないらしい。

「じゃあ、せっかくだし僕たちだけでも普通に話そうか」
「……うん」
「僕はエディ。敬語もなしでいいよ」
「僕は……武蔵(むさし)。名前負けしてるけど」
「そんなことないよ。よろしく、武蔵君」
「よろしく、エディ君」
 これだけでも、今日来た意味はあったかもしれない。
 そう思ったのも束の間だった。

「はいはァ〜い! 自己紹介なァ。まず陰キャメガネ君からどうぞォ」
「さ、佐々木武蔵です……」
「はい次ィ~!」
 まだ名前しか言っていない。

「本日の主役ゥ。ど〜ぞォ!」
 もう限界だった。

「山本君、いい加減にしなよ」
 室内が静まる。

「はァ?」
「君がどう楽しもうが勝手だけど、人をぞんざいに扱うような人とは箸を交えたくない」
「エディ君……」
「帰ろう、武蔵君」
 財布から一万円札を出して、テーブルに置いた。

「君たちも、この人の言い方に何も思わないの?」
「神城、空気読めよ!」
「空気読めって。それ、君が言うんだ」
 その時だった。

 一人の女の子が、僕を見て言った。
「ねえ……声、高くない?」
 嫌な予感がした。

「思った。男なのに女子みたい」
「その顔でその声、何かイメージ違う」
「ていうか、変声期なかったの?」
 さっきまでの態度が嘘みたいだった。
 僕は、自分の声が嫌いではない。
 男性にしては高く、電話では女性に間違えられることもある。
 幼い頃から心臓だけでなく呼吸器も弱く、喉を何度も痛めた。
 その影響なのかはわからない。
 でも。
 この声だからこそ、手に入れたものもある。
 少しずつ好きになれた、自分の声だった。
 だからこそ。
 笑われたことが、思った以上に痛かった。

「陰キャは陰キャ同士付き合っとけば?」
 笑い声が響く。
「……行こう、武蔵君」
 相手にしない。
 そう決めた、その時。

「待って」
 武蔵君が立ち止まった。
 振り返る。
 肩は震えている。
 それでも、彼は彼らを睨んだ。

「き、君たちの下品な笑い声の方が、よっぽどキモいよ!」
 全員が黙った。

「これ以上エディ君を馬鹿にするな! ひ、人の痛みもわからないような奴は、友達でも何でもない!」
 そして山本君を見る。

「陰キャだからなんだよ! その陰キャを馬鹿にしなきゃ自分を大きく見せられない程度の、ポンコツ野郎のくせに!」
 ……すごい。
 さっきまで俯いていた人とは思えない。
 しかも、語彙が意外と辛辣だ。

「武蔵君」
「……行こう」
「うん」
 僕たちは、そのまま店を出た。

   *

「武蔵君、ありがとう」
「こちらこそ。エディ君が声かけてくれなかったら、たぶん僕、最後まで何も言えなかったから」
「じゃあ、お互い様だね」
「もしよかったら……飲み直さない?」
「もちろん」
「今度は僕がご馳走する。あんなものに払うくらいなら、その方が百倍マシだから」
 辛辣さがさらに増している。
 僕は思わず笑った。

「じゃあ改めて」
 グラスを掲げる。
「僕たちの出会いに」
「乾杯」

   ☆

 あれから一年近く。
 武蔵君とは今でも仲がいい。
 浪人を経て、この春、念願だった大学へ進学。
  弁護士を目指している。
 髪型や服にはあまり頓着がなかったので、大学入学前には僕が髪を切り、服選びまで手伝った。

 そんな武蔵君から、ちょうどメッセージが届いた。

〈エディ君、先日はありがとう。 髪も服もすごく気に入ってる。それで報告なんだけど、実は最近、人生初の彼女ができました!  今度ぜひ紹介させてください!〉
「え、マジ?」
 思わず声が出た。

 あの武蔵君に彼女。
 先を越された悔しさは少しあるけれど、それ以上に嬉しい。
〈おめでとう!  他の誰でもない、武蔵君自身が掴んだご縁だから大事にしてね。 僕も会ってみたい。 いつかWデートできたらいいね〉
 送信。

 そこで、僕は本来の目的を思い出した。
「そうだ。彼女……」
 あの日。
 彼女は何を持っていた?

 花。
 薔薇。
 鮮やかな青色の――。

「そうだ」
 あの青い薔薇。

「もしかしたら……」


 あの花屋へ行けば。
 会えるかもしれない。
 たったそれだけの可能性なのに。
 胸が熱くなる。

 会いたい。
 もう一度会って、確かめたい。
 あの日から消えないこの気持ちが――
 ただの憧れなのか。
 それとも。
 恋なのか。


 気づけば、僕は走り出していた。
 練習用ウィッグの入った重いボストンバッグを肩に掛けたまま。

   *

「はぁ……はぁ……」
 角を曲がる。

 『ロゼッタ』。
 看板が見えた。

「見つけた……」

 でも。
 僕は店の前まで行くことができなかった。

「うっ……」
 胸に手を当てる。
 走り過ぎた。
 幼い頃に大きな心臓の手術を受け、今は日常生活にほとんど支障はない。
 それでも、激しい運動は今も苦手だ。

「……無茶したな」
 息を整える。

 三十歩。
 あとそれくらい進めば、店に着く。
 なのに。
 急に怖くなった。

 彼女がいたら、何を言えばいい?
 覚えてくれているだろうか。
 そもそも。
 汗だくで息を切らして現れるなんて、格好悪すぎる。
「何してるんだろうな、僕」

 会いたい。
 でも。
 今日はやめよう。
「……次こそ」
 自分に言い聞かせ、僕は踵を返した。

   *