「課長、例のケーキの件ですが……」
相沢直哉《あいざわなおや》が振り返る。
「ああ、わかった。確認しておく」
27歳にして課長になった、努力型のエリートだ。
「かしこまりました、課長」
彼女の名は、白石美沙希《しらいしみさき》。
年上の仲のいい部下だ。
スーツに化粧が決まっている。
メガネも理知的で似合っている。
そこへ部長が来て、
「相沢、あの件はどうなってる?」
と訊く。
「すみません。まだ確認中です」
と、落ち着いて答える。
次は、
「例の新商品の件、先方から返事は来た?」
他の部下に話しかける。
「まだです。今日中には回答をもらえる予定ですが……」
直哉は、資料に目を通す。
「わかった。来たらすぐ共有して」
高身長、高学歴。高収入。
おまけにイケメン。
女性にモテないわけがない。
なのに、浮いた話ひとつない。
そんな彼だったが……。
仕事帰りの道。
いい香りがした。
コーヒーの匂いだった。
直哉が見ると、個人経営のコーヒーショップがあった。
入ると、店内は明るく、コーヒーの香りが濃くなった。
カウンターテーブルと、普通のテーブルがあり、カウンターは落ち着いた色の木目調だった。
カウンターの向こうに店員がいた。
雨宮菜月《あまみやなつき》は現在24歳。
接客歴の長い店員である。
白いブラウスにスラックス。胸には、エプロン。
髪は、後ろでひとつにまとめている。
菜月は、コーヒーショップに入ってきた直哉を見ると、目を見張った。
知っている。
10年前の祖母の葬式の時に、祖母の親戚の知人として、葬儀に来ていた人だった。
泣いている自分に言ってくれた。
『おばあちゃんが、大好きだったんだね』
特別な感情があったわけではないが、覚えていた。
カウンターテーブルに、彼は座った。
「ブレンドコーヒーをひとつ」
落ち着いた、心地の良い声だった。
今の時間は、マスターと自分の二人で回している。
菜月は、慣れた手つきで温かいコーヒーをコポコポと淹れた。
立ち上る湯気。
コーヒーカップを傾け、一口飲む。
温かく味わい深い。
「おいしい!」
直哉が言った。
菜月は微笑む。
直哉は、その微笑みに安心した。
「仕事のことばかり考えていて、休まる暇がなかった」
「そうですか。休まる暇がないんですね」
「でも、ここは何か落ち着きます。
課長と言っても、所詮、中間管理職。上からも下からも、圧が来て大変なんだ」
直哉は、仕事の愚痴を漏らした。
こんなこと誰かに言うのは、初めてだった。
自分でも、自分がこんな事を思っていたのかと驚いた。
それくらい、彼女は話しやすかった。
胸のネームプレートが気になった。
『雨宮菜月』
──え?
「菜月ちゃん?」
「はい」
「ごめん。全然気づかなかった。その……綺麗になっていて」
「や、やだぁ。そんなことないですよぉ!」
菜月は手を振りながら、そう言った。
「ごめん。あの、また来ていいかな?」
彼女は微笑んだ。
「もちろんです!」
