桜の花びらが、やわらかな春風に吹かれて、ひらひらと宙を舞っている。
駅前の広場には大きな桜の木が植えられている。
この時期になると普段は通り過ぎる人々も足を止める。
スマートフォンのシャッター音が鳴り止むことはないほどだ。
広場では様々な人々が思い思いの時間を過ごしている。
ベンチに座り忙しなくキーボードを打ち続けるサラリーマン。大群で広場を闊歩する鳩。その鳩に優しげな視線を向ける老夫婦など。
ぼくはそんな光景を見ながら、ある人のことを思い返していた。
島本香穂のことを。
彼女はいつでも笑顔で僕に話しかけてくれた。
ぼくたちは小学校で知り合って、同じ中学校に通っていた。
彼女がある日突然世界からいなくなって、二年の歳月が流れた。
ぼくには二年が長かったか短かったかわからない。
今でもぼくの胸には、取り除くことのできない棘が深く突き刺さっている。
この二年間、一日たりとも彼女のことを忘れたことなんてない。
ただ、その日々は、流れる時間も景色も輪郭を失ったように曖昧なものだった。
ぼくが手のひらを虚空に差し出すと、花びらが降り立つように舞い落ちてきた。
その花びらを手のなかに包み込み、ぼくは目を閉じた。
彼女はぼくの手の届かない世界にいってしまった。
ぼくは花びらを握りしめて、手のひらからこぼした。
花びらは力なく地面に落ちていく。
「梶圭太さん」
ふいに、背後から名前を呼ばれた。
その声は街の喧騒のなかでも澄んだ鈴の音のように耳に滑り込んできた。
ぼくは思わず振り返った。
赤い着物姿の高校生ぐらいの女子と、黒い着物姿の小学生ぐらいの男の子が立っていた。
二人とも背すじがきれいに伸びている。
傍から見れば年相応の男女にしか見えないかもしれない。
だが、ぼくは二人から目が離せなかった。
「はい、そうですが……あの、君たちは?」
ぼくは眉をひそめた。
「上木まどかと申します。隣にいるのは弟の海です」
記憶のなかからその名前を探してみたが、見つかることはなかった。
ぼくは視線を揺らした。
「梶さんには、大切な人がいましたね?」
海が落ち着いた声で言った。
「どうして、そう思うの?」
「大切な人を亡くした人からは香がするからです」
「勧誘ならけっこうです」
「わかりました。例の件はキャンセルされますか?」
「例の件?」
「ご自分で依頼をしておいて、ずいぶんいいかげんな方なのですね」
まどかが一歩前に出て、ため息を吐いて言った。
「依頼って言われても……ほんとに覚えてないんだ」
「わかりました。では、ご説明します。梶さんあてにメールが届きませんでしたか?」
「どんなメール?」
「あなたの記憶、交換しますという件名でお送りしました」
「そういえば……」
「そのメールに梶さんから返信がありました」
「返信した覚えはないけど……」
「では、証拠をお見せしましょう」
まどかはそう言うと、着物の袖からスマートフォンを取り出した。
テンポよく操作して、スマートフォンの画面を差し出す。
画面には確かに、ぼくのアドレスが映っていた。
件名は、『あなたの記憶、交換します』と記載されている。
「もしかして、あのときか……」
その日、ぼくは母親が飲んでいる睡眠剤をこっそり飲んだ。
夜、夢のなかに彼女が出てきた。
夢のなかの彼女は生前と何ひとつ変わらない姿だった。
夜の深い時間に目覚めた。
心の風穴を、冷たい風が吹き抜けた。
「でも、どうして、君たちがぼくの連絡先を知ってるの?」
「私からご説明いたします」
まどかはよく見ると整った顔立ちをしていた。
「わかった」
「香穂さんから聞いたのです。梶さんの連絡先を」
「は? 君たちは知らないかもしれないけど、島本さんは二年前に亡くなったんだ!」
自分でも驚くほど大きな声だった。
行き交う人々に怪訝な目で見られる。
ぼくはとっさに顔を伏せた。
「知っています」
まどかは無表情のまま言った。
「なんで、君がそのことを知ってるの……?」
まどかは視線を遠くに移して、軽く息を吐いた。
「まどか姉さん。そんな態度をとらなくても」
海が間に割って入る。
「香穂さんはこうも言っていました。丘の上の公園で梶さんにひどいことをしてしまったと」
まどかは真っ直ぐぼくを見て言った。
ぼくはめまいがして、思わず顔をしかめた。
丘の上の公園。
特別な場所だ。
理由は分からないが、二人は嘘をついていないような気がした。
「また、会いに来ます」
海が言った。
「それでは、失礼いたします」
まどかはそう言うと、くるりと進行方向に向き直った。
信用したわけではない。
だが、丘の上の公園でのことを知っている二人に心がざわついた。
彼女とは、どんな関係なのだろうか。
人混みに紛れて、二人は瞬く間に見えなくなった。
ぼくはしばらくのあいだ、その場から動けなかった。
駅前の広場には大きな桜の木が植えられている。
この時期になると普段は通り過ぎる人々も足を止める。
スマートフォンのシャッター音が鳴り止むことはないほどだ。
広場では様々な人々が思い思いの時間を過ごしている。
ベンチに座り忙しなくキーボードを打ち続けるサラリーマン。大群で広場を闊歩する鳩。その鳩に優しげな視線を向ける老夫婦など。
ぼくはそんな光景を見ながら、ある人のことを思い返していた。
島本香穂のことを。
彼女はいつでも笑顔で僕に話しかけてくれた。
ぼくたちは小学校で知り合って、同じ中学校に通っていた。
彼女がある日突然世界からいなくなって、二年の歳月が流れた。
ぼくには二年が長かったか短かったかわからない。
今でもぼくの胸には、取り除くことのできない棘が深く突き刺さっている。
この二年間、一日たりとも彼女のことを忘れたことなんてない。
ただ、その日々は、流れる時間も景色も輪郭を失ったように曖昧なものだった。
ぼくが手のひらを虚空に差し出すと、花びらが降り立つように舞い落ちてきた。
その花びらを手のなかに包み込み、ぼくは目を閉じた。
彼女はぼくの手の届かない世界にいってしまった。
ぼくは花びらを握りしめて、手のひらからこぼした。
花びらは力なく地面に落ちていく。
「梶圭太さん」
ふいに、背後から名前を呼ばれた。
その声は街の喧騒のなかでも澄んだ鈴の音のように耳に滑り込んできた。
ぼくは思わず振り返った。
赤い着物姿の高校生ぐらいの女子と、黒い着物姿の小学生ぐらいの男の子が立っていた。
二人とも背すじがきれいに伸びている。
傍から見れば年相応の男女にしか見えないかもしれない。
だが、ぼくは二人から目が離せなかった。
「はい、そうですが……あの、君たちは?」
ぼくは眉をひそめた。
「上木まどかと申します。隣にいるのは弟の海です」
記憶のなかからその名前を探してみたが、見つかることはなかった。
ぼくは視線を揺らした。
「梶さんには、大切な人がいましたね?」
海が落ち着いた声で言った。
「どうして、そう思うの?」
「大切な人を亡くした人からは香がするからです」
「勧誘ならけっこうです」
「わかりました。例の件はキャンセルされますか?」
「例の件?」
「ご自分で依頼をしておいて、ずいぶんいいかげんな方なのですね」
まどかが一歩前に出て、ため息を吐いて言った。
「依頼って言われても……ほんとに覚えてないんだ」
「わかりました。では、ご説明します。梶さんあてにメールが届きませんでしたか?」
「どんなメール?」
「あなたの記憶、交換しますという件名でお送りしました」
「そういえば……」
「そのメールに梶さんから返信がありました」
「返信した覚えはないけど……」
「では、証拠をお見せしましょう」
まどかはそう言うと、着物の袖からスマートフォンを取り出した。
テンポよく操作して、スマートフォンの画面を差し出す。
画面には確かに、ぼくのアドレスが映っていた。
件名は、『あなたの記憶、交換します』と記載されている。
「もしかして、あのときか……」
その日、ぼくは母親が飲んでいる睡眠剤をこっそり飲んだ。
夜、夢のなかに彼女が出てきた。
夢のなかの彼女は生前と何ひとつ変わらない姿だった。
夜の深い時間に目覚めた。
心の風穴を、冷たい風が吹き抜けた。
「でも、どうして、君たちがぼくの連絡先を知ってるの?」
「私からご説明いたします」
まどかはよく見ると整った顔立ちをしていた。
「わかった」
「香穂さんから聞いたのです。梶さんの連絡先を」
「は? 君たちは知らないかもしれないけど、島本さんは二年前に亡くなったんだ!」
自分でも驚くほど大きな声だった。
行き交う人々に怪訝な目で見られる。
ぼくはとっさに顔を伏せた。
「知っています」
まどかは無表情のまま言った。
「なんで、君がそのことを知ってるの……?」
まどかは視線を遠くに移して、軽く息を吐いた。
「まどか姉さん。そんな態度をとらなくても」
海が間に割って入る。
「香穂さんはこうも言っていました。丘の上の公園で梶さんにひどいことをしてしまったと」
まどかは真っ直ぐぼくを見て言った。
ぼくはめまいがして、思わず顔をしかめた。
丘の上の公園。
特別な場所だ。
理由は分からないが、二人は嘘をついていないような気がした。
「また、会いに来ます」
海が言った。
「それでは、失礼いたします」
まどかはそう言うと、くるりと進行方向に向き直った。
信用したわけではない。
だが、丘の上の公園でのことを知っている二人に心がざわついた。
彼女とは、どんな関係なのだろうか。
人混みに紛れて、二人は瞬く間に見えなくなった。
ぼくはしばらくのあいだ、その場から動けなかった。
