翌日の放課後。
怪異調査クラブの三人は、六年二組の教室に集まっていた。
机の上には、例の古いノートが広げられている。
表紙には『怪異調査記録』。
昨日から何度も読み返しているが、書かれている内容は相変わらず謎だらけだった。
「なあ、そろそろ音楽室の謎を解こうぜ」
黒田蓮が、鉛筆をくるくると回しながら言った。
「そうね。昨日の調査だけじゃ、まだ証拠が足りないもの」
水瀬ひよりが答える。
「でも、気になることがあるんだ」
朝倉湊は、ノートの一ページを指さした。
そこには、音楽室の簡単な見取り図と、丸、三角、四角の記号が記されていた。
「この記号って、音の出どころを示しているんだよね?」
「たぶんね」
「だったら、音楽室の中だけじゃなくて、廊下や隣の部屋も調べたほうがいいと思う」
蓮は鉛筆を止めた。
「……音が、外から聞こえていたってこと?」
「まだわからない。でも、昨日の音は、聞こえる方向が変わっていた。そこが気になるんだ」
湊は、音楽室の壁に残されていた四角い跡を思い出した。
何かが取り付けられていたような、小さな跡。
そして、白石先生の不自然な反応。
あの先生は、何かを知っているのだろうか。
「よし。今日も音楽室を調べよう!」
蓮が勢いよく立ち上がった。
「待って。その前に、今日は別の場所も調べたいの」
ひよりが、古いノートのページをめくった。
そこには、第二の怪異についての記録があった。
『第二の怪異。夜の理科室では、人体模型がひとりでに動き出す』
その下には、短い文章が続いていた。
『翌朝、模型の位置が変わっている。消えた部品は、必ず元の場所へ戻される』
「……人体模型?」
湊は眉をひそめた。
「それって、あの内臓が見えるやつだよな?」
蓮の顔が少し引きつった。
「そうよ。理科室に置いてあるでしょう?」
「いや、あれ、普通に怖いんだけど」
「昨日、音楽室に入る前も怖がってたよね」
「うるさいな! 怖いものは怖いんだよ!」
蓮は強がるように言った。
湊は思わず笑った。
けれど、ノートに書かれた文章を読み返すうちに、あることが気になった。
「ねえ、ひより。ここに書いてある『消えた部品』って、どういう意味だろう?」
「人体模型の部品がなくなるってことじゃない?」
「でも、次の日には必ず戻っているんだよね」
「うん」
「だったら、誰かが動かしているのかな?」
ひよりは少し考えた。
「可能性はあるわ。でも、まだ決めつけないほうがいいと思う」
「だよな。よし、理科室へ行こう!」
蓮はそう言うと、今度こそ教室の扉へ向かった。
その背中を見ながら、湊は古いノートを閉じた。
第二の怪異。
動き出す人体模型。
そして、消えては戻る部品。
もし、これが誰かの仕掛けなら、必ず何か証拠が残っているはずだ。
湊たちは、理科室へ向かった。
* * *
理科室は、校舎の東側にあった。
廊下の突き当たりにあるため、普段から人通りが少ない。
扉の小さな窓から中をのぞくと、実験台や薬品棚が整然と並んでいるのが見えた。
窓際には、植物の鉢植えが置かれていた。
そして、教室の後ろ側。
棚の隅に、人体模型が立っていた。
赤や青の血管が描かれ、胸の部分には内臓が見えている。
「……うわ」
蓮が小さく声を漏らした。
「まだ何も起きてないよ」
湊が言う。
「わかってる。でも、あれが夜中に動くとか、普通に嫌だろ」
「だから、その噂が本当かどうか調べるんでしょう?」
ひよりは、職員室で借りた鍵を取り出した。
白石先生には、今日も調査の許可をもらっていた。
三人は扉を開け、理科室に入った。
カラカラ、と扉の音が響く。
教室の中は、少しひんやりしていた。
「まずは、模型の状態を記録しましょう」
ひよりがノートを開いた。
「今の位置、部品の数、周りにあるもの。あとで変化があったか確認できるようにね」
「さすが記録係」
蓮が感心したように言う。
「からかわないで。大事なことなんだから」
三人は人体模型の前に立った。
模型は、専用の台座に固定されている。
頭、腕、胴体、脚。
それぞれの部位は、教材として取り外せるようになっていた。
胸の部分には、心臓や肺、胃などの模型が収められている。
ひよりは、取り外せる部品を一つずつ確認した。
「今のところ、欠けているものはないわね」
「台座も動いてないな」
蓮が周囲を見回す。
湊は、人体模型の足元にしゃがみ込んだ。
床に、細い線のようなものが見えた。
「……これ、何だろう?」
湊は目を細めた。
模型の台座のすぐ横に、薄い灰色の筋がついている。
その筋は、棚の方向へまっすぐ伸びていた。
「ひより、これ見て」
「床の跡?」
ひよりもしゃがみ込んだ。
「何かを引きずった跡かもしれないわね」
「でも、人体模型って、台座に固定されてるんだろ?」
蓮が不思議そうに尋ねる。
「そうね。だから、これだけじゃ何とも言えないわ」
ひよりは記録用のノートに、床の跡について書き込んだ。
湊は立ち上がり、棚のほうへ歩いた。
棚には、人体模型の予備部品や、古い実験器具が並んでいた。
その一番下の段に、少しだけ隙間ができている。
何かを置いていたような、四角い空白だった。
「ねえ、ここに何かあったんじゃないかな?」
湊が言うと、二人が近づいてきた。
「本当だ。ほかの場所より、ここだけ埃が少ないね」
ひよりが棚を見つめる。
「最近、何かが置かれていたのかもしれない」
「人体模型の部品だったりして?」
蓮が冗談めかして言った。
そのとき、廊下から声がした。
「何をしているんだい?」
三人は、びくりとして振り返った。
扉のところに立っていたのは、白石先生だった。
「先生!」
「調査は順調かな?」
「はい。人体模型の周りに、いくつか気になる跡があって……」
湊は、床の筋と棚の空白について説明した。
先生は黙って聞いていた。
そして、棚の下段に目を向けた瞬間、ほんの少し眉を動かした。
「……そこを調べていたのか」
小さな声だった。
「先生?」
「いや。何でもないよ」
白石先生は、すぐにいつもの表情に戻った。
「ただし、棚の中身を勝手に動かすのはやめておきなさい。必要なら、理科の先生に確認してからにすること」
「わかりました」
湊はうなずいた。
しかし、先生が立ち去ったあとも、その言葉が頭から離れなかった。
そこを調べていたのか。
まるで、何が置かれていたのかを知っているような言い方だった。
* * *
調査を終えた三人は、図書室へ向かった。
昨日見つけた古いノートには、人体模型について、もう少し詳しい記録が残されていたからだ。
「えっと……第二の怪異のページは……」
湊がページをめくる。
そこには、人体模型の簡単な絵と、いくつかの数字が書かれていた。
そして、ページの端に、小さな文字があった。
『模型の影は、いつも同じ場所にあるとは限らない』
「影?」
蓮が首をかしげる。
「どういう意味だろう?」
湊は考え込んだ。
人体模型が動くという噂。
床に残された筋。
棚にできた空白。
そして、模型の影。
バラバラに見える手がかりが、少しずつ頭の中でつながり始めていた。
「ねえ、ひより。理科室の窓って、どの方向を向いていたっけ?」
「東向きよ。どうして?」
「今日、理科室に入ったとき、少し気になったんだ。窓から光が差し込んでいたのに、模型の影が変な方向に伸びていた気がする」
ひよりは、はっと顔を上げた。
「光の向きと、影の向きが合っていなかったってこと?」
「まだ確かめていないけどね」
蓮は、二人の顔を交互に見た。
「ちょっと待って。つまり、人体模型が動いたんじゃなくて、動いたように見えただけってことか?」
「その可能性はあるよ」
湊は答えた。
「でも、部品が消えることについては、まだ説明できない」
ひよりがノートに目を落とす。
「そうね。影の謎と、部品がなくなる謎は、別々に考えたほうがよさそう」
三人は、しばらく黙って考えた。
やがて、湊が顔を上げた。
「明日、もう一度理科室を調べよう。今度は、光の向きと影の位置を記録するんだ」
「賛成!」
蓮が手を挙げた。
「俺も、部品が消える理由を考えてみる」
「私は、古い学校新聞をもう一度探してみるわ。昔の調査について、何かわかるかもしれないから」
それぞれの役割が決まった。
怪異調査クラブは、少しずつ本格的な活動を始めていた。
* * *
その日の帰り道。
湊は、ひとりで校門を出ようとしていた。
蓮とひよりは、先生に頼まれた用事があるため、少し遅れて帰ることになっていた。
夕方の校庭には、誰もいない。
校舎の窓には、夕日が赤く映っている。
湊はふと、理科室のある二階を見上げた。
窓の向こうに、何かが見えた気がした。
白いもの。
人の形に似たもの。
湊は足を止めた。
「……え?」
もう一度、目を凝らす。
しかし、そこには誰もいなかった。
気のせいだろうか。
夕日の反射が、何かに見えただけなのかもしれない。
湊はそう考え、歩き出そうとした。
そのとき。
校舎の二階から、コトン、と小さな音が聞こえた。
何かが床に落ちたような音だった。
湊は、思わず振り返った。
理科室の窓は、閉じられたままだった。
それでも、窓ガラスの向こうには、白い影が一瞬だけ映ったように見えた。
湊は、その場から動けなかった。
やがて、校舎の時計が午後四時を告げた。
カーン、カーン、カーン、カーン。
四回の鐘の音が、静かな校庭に響き渡る。
湊は、ポケットの中の怪異調査記録を握りしめた。
そこには、第二の怪異について、こう書かれていた。
『夜の理科室では、人体模型がひとりでに動き出す』
けれど、今の時刻は、まだ夕方だ。
夜ではない。
それなのに、なぜ――。
湊は、もう一度だけ、理科室の窓を見上げた。
今度は、何も見えなかった。
ただ、窓ガラスに映る自分の姿だけが、夕闇の中にぼんやりと浮かんでいた。
湊は、ゆっくりと息を吐いた。
「……明日、絶対に確かめてやる」
そうつぶやき、校門を出た。
第二の怪異。
動き出す人体模型。
その正体は、まだわからない。
しかし、湊は知らなかった。
理科室の棚に残された空白が、七不思議を解くための重要な手がかりになることを。
そして、古いノートに記された数字が、次の事件へとつながっていることも。
怪異調査クラブの調査は、まだ始まったばかりだった。
