翌日の放課後。
湊たちは、図書室の奥にある小さな会議スペースに集まっていた。
机の上には、これまで見つけてきた資料が並んでいる。
『怪異調査記録』。
七十周年記念行事の参加者名簿。
第八地点について書かれた覚え書き。
そして、最後に見つかった一枚の紙。
そこには、こう書かれていた。
『謎を残した人と、謎を解いた人。どちらが物語を完成させるのか?』
「……結局、これが最後の問題ってことか」
蓮が紙を指先でつついた。
「でも、答えを出す前に、確かめたいことがあるよ」
ひよりは、資料の一枚を持ち上げた。
「第八の怪異を作った人。それから、私たちをここまで導いた人。たぶん、同じ人だよね」
「うん。古い記録を知っていて、学校の中に資料を置ける人。しかも、十年前の記録係本人じゃない」
湊は、紙に書かれた文字を見つめた。
「そんな条件に当てはまる人は、もう一人しかいない」
そのとき、図書室の入口から声がした。
「どうやら、最後までたどり着いたようだね」
振り返ると、そこには森下先生が立っていた。
十年前、七十周年記念行事で記録補助を担当していた先生だ。
森下先生は三人の前まで歩いてくると、机の上の資料を静かに見渡した。
「先生が、第八の怪異を作ったんですか?」
湊が尋ねた。
森下先生は、しばらく黙っていた。
やがて、小さくうなずいた。
「そうだ。今回の第八の怪異を仕掛けたのは、私だよ」
「やっぱり……!」
蓮が声を上げた。
「じゃあ、あのノートも、机も、物置の手紙も、全部先生が?」
「そう。もっとも、すべてを一人で用意したわけではない。佐伯さんには、古い校舎に入るための手伝いを頼んだ。学校にも、使われていない教室や記録庫を調べる許可をもらっていたんだ」
「でも、白石先生は何も知らなかったんですよね?」
ひよりが確認した。
「ああ。余計な先入観を持たずに調べてもらいたかったからね。白石先生には、古い資料の整理を手伝ってもらうとだけ伝えていた」
森下先生は、鞄から一冊のノートを取り出した。
黒い表紙に、小さな三角形の印がついている。
十年前の記録の中に残されていた、あのノートとよく似ていた。
「これは、私が保管していた記録の写しだ。十年前の行事が終わったあと、私は記録係の子から、ある頼みごとをされた」
「頼みごと?」
「いつか、この記録を読む人が現れたら、ただ答えを教えるのではなく、自分で考える機会を与えてほしい、とね」
森下先生はノートを開いた。
そこには、七つの怪異の仕組みだけでなく、謎を調べるときに大切にしてほしいことも記されていた。
――見たものを、そのまま信じないこと。
――分からないことを、分からないままにしないこと。
――誰かの言葉だけで決めつけず、自分の目で確かめること。
「私は長い間、その頼みをどう果たすべきか考えていた。けれど、ただ記録を渡すだけでは、あの子が本当に伝えたかったことまで届かない気がしたんだ」
「だから、第八の怪異を?」
「そうだ。七つの謎を解いたあとに、新しい謎が現れたら、君たちはどうするだろう。名前を追いかけるのか。それとも、残された証拠を一つずつ確かめるのか。私は、それを見てみたかった」
蓮は腕を組んだ。
「でも先生、ちょっと意地悪じゃないですか? 誰が仕掛けたのか分からないまま、ずっと調べさせるなんて」
「そのとおりだね」
森下先生は、言い訳をしなかった。
「君たちを試すようなことをしたのは、私の独りよがりだったかもしれない。途中で不安にさせてしまったことも、申し訳なく思っている」
ひよりは、机に並べた資料を見つめた。
「じゃあ、あの『黒田直人の名前を追うな』って手紙も、先生が?」
「そうだ。黒田くんは記録係ではなかったが、記録を運ぶ手伝いをしていた。彼の名前だけを追ってしまえば、記録係本人が何を伝えたかったのか、見失ってしまうと思ったんだ」
「でも、黒田さんが記録を渡した相手を知っていたのは、本当だったんですね」
湊が言うと、森下先生はうなずいた。
「彼には、記録を保管する場所までの手伝いを頼んでいたからね。ただ、記録係本人の名前を教えることはしなかった。名前を残さないというのは、その子自身が選んだことだったから」
湊は、十年前の写真を思い出した。
顔を隠された子ども。
名簿から消えた十三番。
何度調べても、最後まで分からなかった名前。
「……その人は、どうして自分の名前を残したくなかったんでしょう」
森下先生は、窓の外へ目を向けた。
「その子はね、謎を作ることが好きだった。けれど、自分が作った謎だと知られた途端、周りの人たちは謎そのものより、作った人のことばかり気にするようになったんだ」
先生は、ゆっくりと言葉を続けた。
「誰が考えたのか。どんな子なのか。どうしてそんなことをしたのか。そういう話ばかりになってしまった。だから最後の記録では、名前を残さないことにしたんだよ」
「謎そのものを、ちゃんと見てほしかったんですね」
ひよりがつぶやいた。
「そうだと思う。私は、その気持ちを尊重したかった。だから、今もその子の名前は明かさない」
蓮は少し考えてから、机の上の黒いノートを見た。
「じゃあ、先生が作った第八の怪異は、十年前の記録係が作ったものとは違うんですね」
「そのとおり。十年前の記録係が残したのは、七つの謎の記録と、それを次の人へ渡すための仕組みだ。第八の怪異は、その記録を読んだ私が、今の君たちに向けて新しく作ったものなんだ」
「だから、昔の資料には第八の怪異が載っていなかったんだ……」
湊は、ようやくすべてがつながった気がした。
古いノートに書かれた警告も。
旧校舎に置かれた机も。
窓の外に見えた銀色の光も。
物置に残された資料も。
誰かが過去から戻ってきたわけではない。
不思議な力が、学校を動かしていたわけでもない。
森下先生が、古い記録を手がかりに、三人が順番に調べられるよう仕掛けたものだったのだ。
机は先生が使われていない教室へ運び、紙は決められた場所に置いた。窓の外に見えた光は、壁に取りつけた小さな金属板が夕日を反射したもの。古い記録に見えた不自然な空白も、すべてが誰かの秘密を隠すためのものではなかった。
そして、匿名の手紙も。
誰かが、三人の調査の進み具合を見ながら、一枚ずつ渡していたのだ。
「……最初のノートは、どうやって僕の机に置いたんですか?」
湊が尋ねると、森下先生は少し困ったように笑った。
「白石先生に頼んで、古い資料を教室へ運ぶときに一緒に置いてもらったんだ。中身については伝えていなかったから、先生も知らなかった」
「なるほど。だから、白石先生も本当に知らなかったんだ」
蓮は納得したようにうなずいた。
「それにしても、ここまで準備するなんて……先生、かなり本気でしたね」
「君たちが、どこまで自分たちで答えを見つけられるか、私も楽しみにしていたからね」
森下先生は、黒いノートを閉じた。
「ただし、最後の問いには、私から答えを教えるつもりはないよ」
机の上に、一枚の紙が置かれた。
そこには、あの問いが書かれていた。
『謎を残した人と、謎を解いた人。どちらが物語を完成させるのか?』
湊は、紙をじっと見つめた。
謎を残した人がいなければ、物語は始まらない。
けれど、謎を解く人がいなければ、そこに隠された意味は分からない。
どちらか一人だけでは、きっと完成しないのだ。
「……両方、だと思います」
湊が答えた。
「謎を残す人が、最初の一歩を作る。でも、その人が考えたことを、別の誰かが見つけて、考えて、答えを出す。そこで初めて、謎は物語になるんじゃないかな」
ひよりが、静かにうなずいた。
「それに、解いた人が答えを見つけたら、それで全部終わりってわけでもないよね。その答えを誰かに伝えれば、また新しい物語につながるから」
「つまり、謎を作る人も、解く人も、次に渡す人も必要ってことか」
蓮は、少し照れくさそうに笑った。
「なんだ。俺たち、結構いい答えを出したんじゃない?」
「自分で言わないの」
「いやいや、たまには褒めてくれてもいいだろ」
三人のやり取りを聞きながら、森下先生は穏やかな表情を浮かべた。
「うん。それが、私の聞きたかった答えだよ」
先生は、黒いノートを湊たちの前へ差し出した。
「これは、君たちに預けよう。今までの記録も、新しく分かったことも、ここに残していくといい。ただし、誰かの名前や秘密を、むやみに書き残してはいけないよ。記録することには、責任もあるからね」
「分かりました」
ひよりは、ノートを両手で受け取った。
蓮は、その表紙をのぞき込んだ。
「じゃあ、これからは俺たちが記録係ってこと?」
「記録係でもあるし、調査する側でもあるね」
湊は、新しいノートを開いた。
最初のページには、三人で決めた言葉を書き込んだ。
『見たものを疑い、証拠を集め、自分たちで答えを見つけること。
そして、分かったことを、次の誰かへ伝えること。』
書き終えた湊は、ペンを置いた。
「これで、第八の怪異も解決だね」
「うん。でも、学校の不思議がこれで全部なくなるとは限らないよ」
ひよりが窓の外を見た。
夕暮れの校庭には、長い影が伸びていた。
「この学校、八十年も続いているんだもん。まだ私たちが知らないこと、たくさんありそう」
「それなら、次の調査も決まりだな!」
蓮が立ち上がった。
「ちょっと待って。まだ今日の記録が終わってないよ」
「えー、今から?」
「当たり前でしょ。最後までちゃんと書くの」
「はいはい、記録係さん」
湊は二人の声を聞きながら、ノートの最後に今日の日付を書き込んだ。
そして、その下に一行だけ付け足した。
『第八の怪異は、誰かが残した記録を、別の誰かが読み解くことで生まれた物語だった。』
ペン先が止まる。
もう一つ、書いておきたいことがあった。
『そして、物語は終わっても、記録は次の誰かへ続いていく。』
窓の外では、夕日が校舎の向こうへ沈みかけていた。
図書室を出る前に、湊は一度だけ振り返った。
古い本棚。静かな机。窓から差し込む橙色の光。
以前なら、そんな景色の中にも、不思議なものの気配を探していたかもしれない。
けれど、今は違う。
不思議に見えるものがあれば、まずは自分の目で確かめる。
分からないことがあれば、仲間と一緒に考える。
そして、見つけた答えを、きちんと記録に残す。
それが、怪異調査クラブのやり方だった。
「湊、早く!」
廊下の向こうから、蓮の声が響いた。
「置いていくよ!」
ひよりも笑いながら手を振っている。
「今行く!」
湊はノートを鞄にしまい、二人のもとへ駆け出した。
放課後の校舎に、三人の足音が響く。
七つの怪異は解決した。
第八の怪異も、その正体が明らかになった。
けれど、それは怪異調査クラブの終わりではない。
これからも、学校には不思議な噂が生まれるだろう。
誰かが見間違えた影。
理由の分からない音。
いつの間にか消えたもの。
その一つひとつに、まだ知られていない理由があるかもしれない。
そして、その理由を探すことができるのは、いつだって、目の前の出来事をきちんと見つめようとする人たちだ。
「明日も調査するの?」
ひよりが尋ねた。
「もちろん!」
蓮が即答する。
湊は二人を見て、笑った。
「うん。また明日、放課後に」
その言葉を最後に、三人は校舎をあとにした。
夕暮れの空に、最初の星がひとつ輝いていた。
誰かが残した謎。
誰かが見つけた答え。
そして、まだ誰も知らない明日の物語。
そのすべてが、いつか一冊の記録につながっていく。
――放課後、怪異調査クラブ。
彼らの物語は、今日ここで一区切りを迎えた。
けれど、明日になれば、また新しい放課後がやってくる。
そのとき三人は、きっといつものように顔を見合わせるだろう。
そして、まだ誰も知らない謎へ向かって、歩き出すのだった。
