その学校には、昔から七つの不思議な噂があった。
放課後の音楽室で、誰も触れていないピアノが鳴る。
理科室の人体模型が、夜になると勝手に動き出す。
上り下りするたびに、段数が変わる階段。
誰もいない教室から、自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
図書室では、本がひとりでに移動する。
夜の校舎には、正体不明の影が現れる。
そして最後の一つは――誰も、その正体を知らない。
六年二組の朝倉湊は、こうした怪談が大の苦手だった。
怖い映画は見ない。お化け屋敷には絶対に入らない。夜中にトイレへ行くときは、廊下の電気を全部つける。
それなのに、不思議な話を聞くと、どうしても気になってしまう。
怖いのに知りたい。
知りたいのに、やっぱり怖い。
そんな面倒な性格を、親友の黒田蓮はいつも笑っていた。
「なあ、湊。お前、また七不思議の本読んでんの?」
昼休み。
蓮が、湊の机に頬杖をつきながら尋ねた。
「ち、違うよ。これは学校の歴史について調べてるだけ」
「へえ。学校の歴史の本に、お化けの絵が載ってるんだ?」
「これは……挿絵!」
「はいはい」
蓮はにやにやしながら、湊の手元をのぞき込んだ。
そこにあったのは、学校の図書室で借りた古い本だった。表紙には『わが校の歴史』と書かれている。
湊が調べていたのは、この学校に伝わる七不思議のことだった。
きっかけは、昨日の帰り道に聞いた噂だ。
この学校には、七つの怪談がある。
しかし、そのうちの一つだけは、誰に聞いても内容が違うらしい。
ある人は「七番目の怪異は、学校のどこかに隠されている」と言う。
別の人は「七番目の怪異を見つけた人は、学校の秘密を知ることになる」と言う。
そして、こんな話もあった。
七番目の怪異について調べていると、いつの間にか七不思議そのものが変わってしまう――。
「そんなの、誰かが適当に作った噂だろ」
蓮はあっさりと言った。
「そうかもしれないけど……」
「じゃあ、確かめてみればいいじゃん」
「え?」
「本当に不思議なことが起きるのか。誰かのいたずらなのか。調べればわかるだろ?」
湊は顔を上げた。
確かに、そのとおりだ。
怖いからといって、何もせずにいる必要はない。
そもそも、ピアノが勝手に鳴るなんて本当なのだろうか。
人体模型が動くというのも、誰かが仕掛けを作っただけかもしれない。
階段の段数だって、数え間違いという可能性がある。
ひとつずつ確かめれば、何かがわかるかもしれない。
「……調べてみようかな」
「おっ、いいね!」
「でも、ひとりじゃ嫌だからな!」
「なんで俺まで巻き込むんだよ!」
蓮の声が、教室に響いた。
そのときだった。
「何の話をしているの?」
二人の机の横に、ひとりの少女が立っていた。
水瀬ひより。
同じ六年二組のクラスメートで、成績優秀、しっかり者。クラスで何か問題が起こると、なぜか彼女が解決役になることが多い。
ひよりは湊の手元にある本を見て、目を丸くした。
「あ、それ、学校の歴史の本?」
「うん。七不思議について調べてたんだ」
「七不思議?」
ひよりは少し考えたあと、ぱっと顔を上げた。
「ねえ、それなら私も気になっていたことがあるの」
「気になっていたこと?」
「うん。図書室で古い新聞を整理していたときに、ちょっと変な記事を見つけたの」
ひよりは声をひそめた。
「昔、この学校で七不思議の調査をしていた子どもたちがいたらしいの」
「えっ?」
「でも、どうして調査を始めたのかも、最後に何がわかったのかも、記録が残っていないんだって」
湊と蓮は顔を見合わせた。
ただの噂だと思っていた七不思議に、そんな過去があったなんて。
「その記事、どこにあるの?」
湊が尋ねると、ひよりは首を横に振った。
「昨日、もう一度探したんだけど、見つからなかったの。新聞の名前も、何年の記事だったのかも、よく覚えていなくて……」
「なんだよ、それ。気になるじゃん!」
蓮が身を乗り出した。
「じゃあさ、俺たちで調べようぜ。七不思議も、その昔の調査のことも!」
「俺たちで?」
「そう。せっかくだし、名前も決めようぜ!」
蓮は立ち上がり、教室の黒板に向かった。
チョークを手に取ると、大きな文字で書いた。
『怪異調査クラブ』
「どうだ!」
「そのまんまだね……」
湊は苦笑した。
「わかりやすくていいじゃない」
ひよりは意外にも賛成した。
「じゃあ、決まりだな!」
こうして、三人だけの小さなクラブが誕生した。
もっとも、このときの湊たちは知らなかった。
自分たちがこれから調べる七不思議が、単なる学校の噂では終わらないことを。
そして、その最初の手がかりが、思いもよらない場所に隠されていることも。
* * *
放課後。
三人は、図書室へ向かっていた。
ひよりが見つけたという古い新聞の記事を探すためだ。
図書室には、一般の本が並ぶ棚とは別に、学校の歴史に関する資料を集めた一角がある。
古い卒業アルバム、学校新聞、記念行事の記録。
普段はあまり生徒が近づかない場所だった。
「この辺りにあるはずなんだけど……」
ひよりが棚を調べている間、湊は並んだ資料の背表紙を眺めていた。
そのとき、棚の一番下に、ほかの本とは違うものがあるのに気づいた。
茶色く変色した、小さなノートだった。
表紙には何も書かれていない。
「ねえ、これ……」
湊がノートを取り出す。
表紙を開くと、最初のページに、黒い文字が並んでいた。
『怪異調査記録』
その下には、日付と短い文章が書かれている。
『第一の怪異。放課後の音楽室で、誰も触れていないピアノが鳴る』
湊は息をのんだ。
まさに、学校に伝わる七不思議の一つだった。
ページをめくる。
そこには、音楽室の見取り図らしきものと、いくつかの数字が記されていた。
さらに次のページには、理科室の人体模型についての記録。
その次には、階段の段数に関する調査。
ノートには、七不思議のすべてが記録されていた。
「すごい……。これを書いた人、全部調べてたんだ」
ひよりが驚いた声を上げた。
「でも、変だな」
蓮がノートをのぞき込む。
「何が?」
「ここ。調査結果が書いてあるページと、空白のページが交互になってる」
言われてみれば、そのとおりだった。
怪異の内容が書かれたページの次には、何も書かれていないページがある。
さらにその次には、調査の記録。
まるで、誰かが意図的にページを空けているようだった。
「最後のページは?」
ひよりに言われ、湊はノートをめくった。
最後のページには、たった一行だけ、文字が書かれていた。
『七番目の怪異を見つけたとき、すべての謎は一つにつながる』
その下には、見覚えのない記号が三つ並んでいた。
丸、三角、そして四角。
「……これ、何だろう?」
湊がつぶやいた、その瞬間。
図書室の壁に掛けられた時計が、午後四時を告げた。
カチ、カチ、カチ。
静かな図書室に、時計の音だけが響く。
そのとき、ひよりが何かに気づいた。
「ねえ、二人とも。これ……日付を見て」
彼女が指さしたのは、ノートの最後のページの端だった。
そこには、小さな文字で日付が書かれていた。
今日の日付だった。
「……え?」
湊は、思わず声を漏らした。
古いノートなのに。
何十年も前に書かれたようなノートなのに。
なぜ、今日の日付が書かれているのだろう。
「誰かが最近、書き足したんじゃないの?」
蓮はそう言ったものの、その表情にはいつもの余裕がなかった。
湊はノートを閉じた。
そして、もう一度、表紙を見つめる。
怪異調査記録。
誰が書いたのか。
なぜ、ここに置かれていたのか。
そして、七番目の怪異とは何なのか。
答えは、まだ何一つわからない。
けれど、湊は確信していた。
このノートを見つけたことには、何か意味がある。
「……明日、音楽室を調べてみよう」
湊が言うと、ひよりは静かにうなずいた。
「うん。まずは第一の怪異からね」
「よし! 怪異調査クラブ、初仕事だ!」
蓮が拳を握る。
三人はノートを大切にしまい、図書室をあとにした。
誰もいなくなった図書室。
棚の一番下には、ノートが置かれていた場所だけ、うっすらと四角い跡が残っていた。
その近くの床に、小さな紙片が一枚落ちている。
紙片には、鉛筆でこう書かれていた。
『音楽室の時計を、よく見ろ』
その文字を読んだ者は、まだ誰もいなかった。
