学科図書室で本を見ていた私は、助手室に寄ったらしい香奈ちゃんを見かけて声をかけた。
助手室と図書室は一繋ぎになっているのだ。
「香奈ちゃん……どうかした?」
何となく元気がないように見えて問うと、香奈ちゃんは笑顔で、なんでもないです、と言ったが、ふっと肩の力を抜いた。
「……先輩、忙しいですもんね」
いつも明るい香奈ちゃんの物憂げな様子が気になり、私は慌てて首を振った。
「話聞くくらいの時間、取れるよ。聞かせて」
香奈ちゃんの講義が終わるのを待って、私たちは居酒屋に入った。半個室に通され、互いに一杯だけアルコールを頼む。
お通しの白和えに箸をつけながら、香奈ちゃんはどう切り出したものか考えているようだった。それを見て、私が先に切り出す。
「ごめんね、先月の合宿行けなくて」
結局、インターンやゼミ旅行で、合宿に全く顔を出せなかったのだ。
香奈ちゃんは首を振って、いえ、と言うと、決心したように話し始めた。
「あの……ゆかりんのことなんですけど」
ゆかりちゃん。そういえば最近あまりサークルで見かけない。私自身もフルに参加していないから、たまたまタイミングが合わないだけかと思っていたのだが、何かあったのだろうか。
私はそう思いながら頷き、先を促す。
「2年になってから、他のサークルにも入ったらしいんです。打ち合わせとか練習とか、結構来ないことも多くて……」
香奈ちゃんが言葉を選びながら話しているのを感じる。ただの悪口にならないよう、極力自分の価値観を交えず話そうとしているんだろう。
「理由聞くと、もう一つのサークルで呼び出しがあったからとか……いろいろで。一応、謝ってはくれるんですけど、向こうのサークルの人にどうしてもって言われたからって」
悪気がない。だから余計困る。
「それでも男子は、いいじゃん別に、って言うんです。他のメンバーで回せてるんだから、って。でも女子は、白い目で見ててーーゆかりんだからそう言うんじゃないの、って。おかげで、うちの代、結構険悪っていうか」
その姿、想像がつく。私はそっかぁ、と苦笑いした。幸い、うちの代にはなかった悩みなので、咄嗟にはアドバイスが浮かばない。
「ゆかりんの分、他の子が仕事してるのも確かだし、決定には文句言わずに従うからって言われても、毎回来ないんじゃ他のメンバーもやる気が下がっちゃって。一応後輩も入ったし、私たちが険悪になるとよくないから、今のところどうにか、後輩たちの前ではごまかしてるんですけど……」
香奈ちゃんは深々とため息をついた。
「……文化祭のステージ発表、ゆかりんに前に出てもらおう、って男子が言い始めて、盛り上がっちゃって。昨年、ざっきー先輩がファントムやって評判だったじゃないですか。うちの代で華になれるのって、ゆかりんだよね、ってーーで、ゆかりんも別に嫌じゃないみたいで」
うわぁ。それは、おかしな前例作っちゃった我々のせいでもある。
「なんかーーごめんね」
思わず謝りながら、問う。
「どんなことするの?」
「具体的にはまだ決まってないんです。曲目は決まってますけど。それもまた、ゆかりんが珍しく打ち合わせに来た日に出た話で」
私は合いの手を打つことしかできない。副部長の香奈ちゃんが悩むのも頷ける。
「部長はなんて?」
「きらりんは、男女のズレに気づいてるんで、中立を保ってくれてるんですけどーーあと、さがちゃんも」
それが救いです、と香奈ちゃんはまた嘆息した。
「元々、ゆかりん、ざっきー先輩とこばやん先輩がお気に入りだったんです。二人がいないからーーあ、こばやん先輩はいますけど、早紀先輩を大事にしてるの、私たちでも分かるくらいだしーーつまんなくなって、他の男探し始めたんじゃないの、って女子は呆れ返ってて」
あ、これは関係ない話ですね、と苦笑する。
「とにかく、明後日もう一度話し合いなんです。でも、ゆかりんがまた来てくれるかどうかも、わかんないし」
途中で、私のスマホにメッセージが入った。着信音に気づき、香奈ちゃんがどうぞ、と言ってくれたので、失礼して見てみる。サリーからだった。
[ゆかりん、サークル辞める気かも]
私は思わず、香奈ちゃんの顔とサリーのメッセージを見比べた。どうしたんですか、と問われ、一瞬迷ってからメッセージを見せる。
「電話してもいい?サリーから話聞いた方がいいかも」
香奈ちゃんが頷いたのを確認して、サリーに電話をかける。
サリーはこれから帰ろうと思っていたところらしく、差し障りのない程度に事情を話すと、今から行く、と電話を切った。
香奈ちゃんの了解のもと、合流したサリーに後輩たちの実状について話すと、サリーは苦笑した。
「なるほどね。そういうことなら、辞めて貰う方が丸く収まるかもね」
サリーも同じ学科のゆかりちゃんにばったり会い、呼び止められたらしい。ゆかりちゃんからすると、
「私なりに、両方のサークルとも頑張ってるつもりなんですけど、最近、何となくみんなの態度が冷たくて。そんな風なら、辞めた方がいいのかなって」
と、涙混じりに言っていたらしい。
「ああいう子って、無自覚に鈍感なんだよね。お姫様っていうか」
サリーが苦笑いしながら、早速頼んだ梅酒のソーダ割を一口飲む。
「本人には悪気なくて、あくまでよかれと思ってるんだけど、人を振り回すの。うちのおばあちゃんと一緒」
そういうもんか、と自分のジントニックを飲みながら、追いコンのときを思い出す。
確かに、怒りを直接ぶつけるには、彼女は無邪気過ぎた。だからこそ、余計に気に障ったのだが。
「ま、後味は悪いけど、距離を置くにはいい機会よ。きっと私に話したのも、無意識に私の取りなしを期待してるんでしょうけど」
肩を竦めた。香奈ちゃんがしゅんと俯く。
「なんか……女子のことなのに、私がちゃんと纏められなくて、悔しいです」
「あー、無理、無理。あの手のタイプは、会っちゃったのが災難だと思った方がいいよ。もしくは、みんな従者になる気で接するか」
サリーがあっけらかんと言って、から揚げを口に放り込んだ。こういうサッパリしたところ、容姿とはギャップがあるのだが、同性受けがいい。
「大丈夫、過ぎてしまえば忘れてるから、変にあと引くこともないし。ーーということで、私からのアドバイスとしては、そういう話が出たときに、引き止めないこと。向こうのサークル頑張ってね、こっちはこっちで頑張るよ、って言ってあげればオッケーよ。きらりんとも話しておきな。男子の方が同情的だろうから、真っ先にきらりんに言ってもらえるのが一番よ」
テキパキ言うサリーに、私は苦笑した。
「私よりもよっぽどサリーに相談した方がよかったね。香奈ちゃん、役に立てなくてごめん」
「そんなことないです」
香奈ちゃんは思いきり首を振った。
「愚痴みたいになっちゃうし、悪口と思われても仕方ないかもって、一人で抱えたんですけど、コッコ先輩だから相談できました」
ぺこりと元気よく頭を下げる。
「ありがとうございました。頑張ってみます」
「あんまり頑張りすぎなくていいよー」
サリーがひらひら手を振って言った。
「香子も香奈ちゃんも頑張り過ぎちゃうもん。ゆるゆるぐらいでちょうどいいって」
香奈ちゃんが顔を輝かせた。よかった、だいぶいつもの香奈ちゃんらしい顔だ。
「コッコ先輩と一緒にしてもらえるなら、光栄です!」
「なに、それ」
私が笑うと、香奈ちゃんが言った。
「だって、コッコ先輩、しっかりしてて、大人の女って感じですもん。カッコイイです。私もそうなりたい」
くすぐったい賛辞に、思わず照れながら返す。
「ありがとう。でも、私は香奈ちゃんの明るくて元気なとこ好きだよ。こっちも元気になる」
「きゃー、両想い!」
「私も混ぜてー!」
三人でハグして笑い、あれこれ食べて店を出たのは22時過ぎだった。私のポケットから着信音がして、珍しい送信者に驚く。
「なに、誰から?」
「神崎くん」
サリーの問いに答えると、香奈ちゃんがきゃあと声を上げた。
「やっぱり、コッコ先輩とざっきー先輩って、付き合ってるんですか?」
「ち、違うよ」
私は慌てて手を振って否定した。
「向こう行ってから連絡あったの初めてだし。ーーなんだろう?」
画面を開くと、銀杏並木と秋晴れの空が写った写真と、一言だけのメッセージだった。
[おはよう。そっちは夜だね。今朝は、銀杏と空が綺麗だったから]
写真に写る銀杏と空は見慣れないものではなかったけど、端に写る建物や道行く人は、やっぱり日本とは違った。
頭の中で、14時間引く。向こうは8時頃か。
私は空を見上げた。東京の街明かりでほとんど見えない星の代わりに、ほとんど満月に近い月が見える。
一応、スマホをカメラにして、月に向かって掲げてみたが、ぽつんとしたただの白い明かりにしか写らないので諦めて手を下げる。
「ざっきー、なんて?」
サリーが興味深げに聞いてくる。香奈ちゃんも気になっている様子なので、私は二人に画面を見せた。
「わぁ、ほんとに綺麗なコントラスト」
香奈ちゃんが目を輝かせる。
「……ねぇ、サリー」
ふと、私は呟いた。
「よく、歌とかであるじゃん。この空は君の見ている空と一緒だ、みたいな」
サリーが目線で先を促す。
「あれって、国内だから成り立つ歌詞だね。時差が大きいと、むしろ距離を再確認しちゃうよね」
香奈ちゃんが、確かに、と目を丸くする横で、サリーが噴き出した。
「なんで笑うのよ」
「いや、香子が乙女モードだから、つい」
サリーの言葉に赤面する。私が否定しようと口を開くより先に、サリーが話しはじめた。
「この前、従兄が結婚してね。相手、高校の同級生だって。在学時は気になってても近づけなかったんだけど、ばらばらの大学行って、就職して、飲み会でばったり会って、あっという間に婚約して、結婚したんだって」
何のことを言い始めたんだろうと思っていたら、サリーはにっこり笑った。
「結局、落ち着くところに落ち着くもんなのかもね、って母が言ってたの。焦ってどうこうしなくても」
ま、私たちまだ学生だからよくわかんないけどー、と歩き出すサリーの背中を追いながら、スマホをにぎりしめる。
香奈ちゃんが嬉しそうに言った。
「綺麗だと思ったもの、コッコ先輩と共有したくなったんですね。それって素敵」
「そうかな……たまたまじゃ」
「たまたまでも、そこで思い浮かんだのがコッコ先輩だったんですよ。いいじゃないですか」
香奈ちゃんは両手を握り合わせて浸るように言った。
「ざっきー先輩とコッコ先輩の晴れ着姿、素敵だろうなぁ。和装でも洋装でも」
「こらこら香奈ちゃん、気が早いわよ」
妄想を始めた香奈ちゃんを、サリーがたしなめる。
「その前に告白やら初デートやら、楽しいイベント盛り沢山なんだから。香子、ちゃんと里沙お姉様に報告しなさいよ」
私は呆れながら応じた。
「だからそういうんじゃないってば……」
言いながらも、すっかりいつも通りの香奈ちゃんの笑顔にホッとしたのだった。
サリーたちと別れてから、私は改めてメッセージ画面を見た。二人の前で返すと冷やかされそうだったからだ。
[こっちはすっかり夜で、サリーと香奈ちゃんと夕飯食べて帰るところです。綺麗な写真だね。おやすみなさい]
送信してから、何となく味気なかったかと、もう一文付け足す。
[これから学校なのかな。気をつけて行ってらっしゃい。いい一日になりますように]
帰宅した頃、また神崎くんからメッセージが届いた。
[ありがとう。行ってきます。鈴木さんは、おやすみなさい]
メッセージを二度読み直して、私は笑った。
「……なんか、変なの」
おはようと、おやすみ。
それぞれに必要な挨拶を交わしただけだけど、今日は温かい気持ちで眠れるような気がする。
神崎くんも、気持ち良く一日を始められていればいいな、と思った。
助手室と図書室は一繋ぎになっているのだ。
「香奈ちゃん……どうかした?」
何となく元気がないように見えて問うと、香奈ちゃんは笑顔で、なんでもないです、と言ったが、ふっと肩の力を抜いた。
「……先輩、忙しいですもんね」
いつも明るい香奈ちゃんの物憂げな様子が気になり、私は慌てて首を振った。
「話聞くくらいの時間、取れるよ。聞かせて」
香奈ちゃんの講義が終わるのを待って、私たちは居酒屋に入った。半個室に通され、互いに一杯だけアルコールを頼む。
お通しの白和えに箸をつけながら、香奈ちゃんはどう切り出したものか考えているようだった。それを見て、私が先に切り出す。
「ごめんね、先月の合宿行けなくて」
結局、インターンやゼミ旅行で、合宿に全く顔を出せなかったのだ。
香奈ちゃんは首を振って、いえ、と言うと、決心したように話し始めた。
「あの……ゆかりんのことなんですけど」
ゆかりちゃん。そういえば最近あまりサークルで見かけない。私自身もフルに参加していないから、たまたまタイミングが合わないだけかと思っていたのだが、何かあったのだろうか。
私はそう思いながら頷き、先を促す。
「2年になってから、他のサークルにも入ったらしいんです。打ち合わせとか練習とか、結構来ないことも多くて……」
香奈ちゃんが言葉を選びながら話しているのを感じる。ただの悪口にならないよう、極力自分の価値観を交えず話そうとしているんだろう。
「理由聞くと、もう一つのサークルで呼び出しがあったからとか……いろいろで。一応、謝ってはくれるんですけど、向こうのサークルの人にどうしてもって言われたからって」
悪気がない。だから余計困る。
「それでも男子は、いいじゃん別に、って言うんです。他のメンバーで回せてるんだから、って。でも女子は、白い目で見ててーーゆかりんだからそう言うんじゃないの、って。おかげで、うちの代、結構険悪っていうか」
その姿、想像がつく。私はそっかぁ、と苦笑いした。幸い、うちの代にはなかった悩みなので、咄嗟にはアドバイスが浮かばない。
「ゆかりんの分、他の子が仕事してるのも確かだし、決定には文句言わずに従うからって言われても、毎回来ないんじゃ他のメンバーもやる気が下がっちゃって。一応後輩も入ったし、私たちが険悪になるとよくないから、今のところどうにか、後輩たちの前ではごまかしてるんですけど……」
香奈ちゃんは深々とため息をついた。
「……文化祭のステージ発表、ゆかりんに前に出てもらおう、って男子が言い始めて、盛り上がっちゃって。昨年、ざっきー先輩がファントムやって評判だったじゃないですか。うちの代で華になれるのって、ゆかりんだよね、ってーーで、ゆかりんも別に嫌じゃないみたいで」
うわぁ。それは、おかしな前例作っちゃった我々のせいでもある。
「なんかーーごめんね」
思わず謝りながら、問う。
「どんなことするの?」
「具体的にはまだ決まってないんです。曲目は決まってますけど。それもまた、ゆかりんが珍しく打ち合わせに来た日に出た話で」
私は合いの手を打つことしかできない。副部長の香奈ちゃんが悩むのも頷ける。
「部長はなんて?」
「きらりんは、男女のズレに気づいてるんで、中立を保ってくれてるんですけどーーあと、さがちゃんも」
それが救いです、と香奈ちゃんはまた嘆息した。
「元々、ゆかりん、ざっきー先輩とこばやん先輩がお気に入りだったんです。二人がいないからーーあ、こばやん先輩はいますけど、早紀先輩を大事にしてるの、私たちでも分かるくらいだしーーつまんなくなって、他の男探し始めたんじゃないの、って女子は呆れ返ってて」
あ、これは関係ない話ですね、と苦笑する。
「とにかく、明後日もう一度話し合いなんです。でも、ゆかりんがまた来てくれるかどうかも、わかんないし」
途中で、私のスマホにメッセージが入った。着信音に気づき、香奈ちゃんがどうぞ、と言ってくれたので、失礼して見てみる。サリーからだった。
[ゆかりん、サークル辞める気かも]
私は思わず、香奈ちゃんの顔とサリーのメッセージを見比べた。どうしたんですか、と問われ、一瞬迷ってからメッセージを見せる。
「電話してもいい?サリーから話聞いた方がいいかも」
香奈ちゃんが頷いたのを確認して、サリーに電話をかける。
サリーはこれから帰ろうと思っていたところらしく、差し障りのない程度に事情を話すと、今から行く、と電話を切った。
香奈ちゃんの了解のもと、合流したサリーに後輩たちの実状について話すと、サリーは苦笑した。
「なるほどね。そういうことなら、辞めて貰う方が丸く収まるかもね」
サリーも同じ学科のゆかりちゃんにばったり会い、呼び止められたらしい。ゆかりちゃんからすると、
「私なりに、両方のサークルとも頑張ってるつもりなんですけど、最近、何となくみんなの態度が冷たくて。そんな風なら、辞めた方がいいのかなって」
と、涙混じりに言っていたらしい。
「ああいう子って、無自覚に鈍感なんだよね。お姫様っていうか」
サリーが苦笑いしながら、早速頼んだ梅酒のソーダ割を一口飲む。
「本人には悪気なくて、あくまでよかれと思ってるんだけど、人を振り回すの。うちのおばあちゃんと一緒」
そういうもんか、と自分のジントニックを飲みながら、追いコンのときを思い出す。
確かに、怒りを直接ぶつけるには、彼女は無邪気過ぎた。だからこそ、余計に気に障ったのだが。
「ま、後味は悪いけど、距離を置くにはいい機会よ。きっと私に話したのも、無意識に私の取りなしを期待してるんでしょうけど」
肩を竦めた。香奈ちゃんがしゅんと俯く。
「なんか……女子のことなのに、私がちゃんと纏められなくて、悔しいです」
「あー、無理、無理。あの手のタイプは、会っちゃったのが災難だと思った方がいいよ。もしくは、みんな従者になる気で接するか」
サリーがあっけらかんと言って、から揚げを口に放り込んだ。こういうサッパリしたところ、容姿とはギャップがあるのだが、同性受けがいい。
「大丈夫、過ぎてしまえば忘れてるから、変にあと引くこともないし。ーーということで、私からのアドバイスとしては、そういう話が出たときに、引き止めないこと。向こうのサークル頑張ってね、こっちはこっちで頑張るよ、って言ってあげればオッケーよ。きらりんとも話しておきな。男子の方が同情的だろうから、真っ先にきらりんに言ってもらえるのが一番よ」
テキパキ言うサリーに、私は苦笑した。
「私よりもよっぽどサリーに相談した方がよかったね。香奈ちゃん、役に立てなくてごめん」
「そんなことないです」
香奈ちゃんは思いきり首を振った。
「愚痴みたいになっちゃうし、悪口と思われても仕方ないかもって、一人で抱えたんですけど、コッコ先輩だから相談できました」
ぺこりと元気よく頭を下げる。
「ありがとうございました。頑張ってみます」
「あんまり頑張りすぎなくていいよー」
サリーがひらひら手を振って言った。
「香子も香奈ちゃんも頑張り過ぎちゃうもん。ゆるゆるぐらいでちょうどいいって」
香奈ちゃんが顔を輝かせた。よかった、だいぶいつもの香奈ちゃんらしい顔だ。
「コッコ先輩と一緒にしてもらえるなら、光栄です!」
「なに、それ」
私が笑うと、香奈ちゃんが言った。
「だって、コッコ先輩、しっかりしてて、大人の女って感じですもん。カッコイイです。私もそうなりたい」
くすぐったい賛辞に、思わず照れながら返す。
「ありがとう。でも、私は香奈ちゃんの明るくて元気なとこ好きだよ。こっちも元気になる」
「きゃー、両想い!」
「私も混ぜてー!」
三人でハグして笑い、あれこれ食べて店を出たのは22時過ぎだった。私のポケットから着信音がして、珍しい送信者に驚く。
「なに、誰から?」
「神崎くん」
サリーの問いに答えると、香奈ちゃんがきゃあと声を上げた。
「やっぱり、コッコ先輩とざっきー先輩って、付き合ってるんですか?」
「ち、違うよ」
私は慌てて手を振って否定した。
「向こう行ってから連絡あったの初めてだし。ーーなんだろう?」
画面を開くと、銀杏並木と秋晴れの空が写った写真と、一言だけのメッセージだった。
[おはよう。そっちは夜だね。今朝は、銀杏と空が綺麗だったから]
写真に写る銀杏と空は見慣れないものではなかったけど、端に写る建物や道行く人は、やっぱり日本とは違った。
頭の中で、14時間引く。向こうは8時頃か。
私は空を見上げた。東京の街明かりでほとんど見えない星の代わりに、ほとんど満月に近い月が見える。
一応、スマホをカメラにして、月に向かって掲げてみたが、ぽつんとしたただの白い明かりにしか写らないので諦めて手を下げる。
「ざっきー、なんて?」
サリーが興味深げに聞いてくる。香奈ちゃんも気になっている様子なので、私は二人に画面を見せた。
「わぁ、ほんとに綺麗なコントラスト」
香奈ちゃんが目を輝かせる。
「……ねぇ、サリー」
ふと、私は呟いた。
「よく、歌とかであるじゃん。この空は君の見ている空と一緒だ、みたいな」
サリーが目線で先を促す。
「あれって、国内だから成り立つ歌詞だね。時差が大きいと、むしろ距離を再確認しちゃうよね」
香奈ちゃんが、確かに、と目を丸くする横で、サリーが噴き出した。
「なんで笑うのよ」
「いや、香子が乙女モードだから、つい」
サリーの言葉に赤面する。私が否定しようと口を開くより先に、サリーが話しはじめた。
「この前、従兄が結婚してね。相手、高校の同級生だって。在学時は気になってても近づけなかったんだけど、ばらばらの大学行って、就職して、飲み会でばったり会って、あっという間に婚約して、結婚したんだって」
何のことを言い始めたんだろうと思っていたら、サリーはにっこり笑った。
「結局、落ち着くところに落ち着くもんなのかもね、って母が言ってたの。焦ってどうこうしなくても」
ま、私たちまだ学生だからよくわかんないけどー、と歩き出すサリーの背中を追いながら、スマホをにぎりしめる。
香奈ちゃんが嬉しそうに言った。
「綺麗だと思ったもの、コッコ先輩と共有したくなったんですね。それって素敵」
「そうかな……たまたまじゃ」
「たまたまでも、そこで思い浮かんだのがコッコ先輩だったんですよ。いいじゃないですか」
香奈ちゃんは両手を握り合わせて浸るように言った。
「ざっきー先輩とコッコ先輩の晴れ着姿、素敵だろうなぁ。和装でも洋装でも」
「こらこら香奈ちゃん、気が早いわよ」
妄想を始めた香奈ちゃんを、サリーがたしなめる。
「その前に告白やら初デートやら、楽しいイベント盛り沢山なんだから。香子、ちゃんと里沙お姉様に報告しなさいよ」
私は呆れながら応じた。
「だからそういうんじゃないってば……」
言いながらも、すっかりいつも通りの香奈ちゃんの笑顔にホッとしたのだった。
サリーたちと別れてから、私は改めてメッセージ画面を見た。二人の前で返すと冷やかされそうだったからだ。
[こっちはすっかり夜で、サリーと香奈ちゃんと夕飯食べて帰るところです。綺麗な写真だね。おやすみなさい]
送信してから、何となく味気なかったかと、もう一文付け足す。
[これから学校なのかな。気をつけて行ってらっしゃい。いい一日になりますように]
帰宅した頃、また神崎くんからメッセージが届いた。
[ありがとう。行ってきます。鈴木さんは、おやすみなさい]
メッセージを二度読み直して、私は笑った。
「……なんか、変なの」
おはようと、おやすみ。
それぞれに必要な挨拶を交わしただけだけど、今日は温かい気持ちで眠れるような気がする。
神崎くんも、気持ち良く一日を始められていればいいな、と思った。

