虚無に咲く華

浴室の扉を開けると、白い湯気がふわりと廊下へ流れ出した。

雅は浴槽に手を入れ、湯加減を確かめた。

「うん、ちょうどいいわね」

振り返ると、女は脱衣所の入口に立ったまま、じっと床を見つめていた。

「さあ、入って。ここ、暖かいでしょう?」

女は顔を上げ、浴室の中を見た。

白い壁、大きな鏡、湯気の立つ浴槽。

それらを一つずつ確かめるように眺めている。

雅は女の前にしゃがみ、目線を合わせた。

「服、脱げる?」

女は小さく頷いた。

「じゃあ、私はタオルを用意するからね」

雅が背を向けると、背後で衣擦れの音がした。

振り返った雅は、思わず息を呑んだ。

女の肩から背中にかけて、大小さまざまな痣が広がっていた。

紫色に変色したもの、黄色く薄れかけたもの。

細長い傷痕が幾重にも重なり、ところどころには新しい擦り傷もある。

腰や太ももにも、同じような痕が続いていた。

(……何なの、これ)

雅は手にしたタオルを握りしめた。

女はそんな雅の様子を気にすることもなく、脱いだ服を小さく畳もうとしていた。

汚れた布地を何度も折り直し、端を揃えようとしている。

「……いいのよ。そのままで」

雅はそっと声をかけた。

女は手を止めた。

「お風呂、入ろうね」

女は小さく頷き、浴室へ入った。

雅はシャワーの温度を確かめてから、女の足元へゆっくり湯をかけた。

「熱くない?」

女は首を横に振った。

「そう。よかった」

雅は柔らかいタオルを濡らし、傷の少ないところから慎重に身体を洗い始めた。

腕、肩、背中。

肌に触れるたび、女の身体が小さくこわばる。

雅はそのたびに手を止め、女の様子を確かめた。

「痛かったら、教えてね」

返事はなかった。

それでも女は逃げようとはせず、じっと座っていた。

次に雅は、長い黒髪へ目を向けた。

髪は膝の近くまで伸びていた。

本来なら美しい黒髪なのだろう。

けれど、あちこちが絡まり、毛先は固く束になっている。

指を通そうとしても、途中で引っかかった。

「……これは、ちょっと大変ね」

雅はシャンプーを手に取り、少しずつ泡立てた。

何度も湯を流し、絡まった髪を指先でほぐしていく。

しかし、後頭部から毛先にかけて、ガムでもついたように固まった部分はどうしてもほどけなかった。

(……切るしかないかもしれないわね)

雅は無理に引っ張るのをやめた。

「髪、少し切ってもいい?」

女はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。

雅は脱衣所からハサミを持ってきた。

「痛くしないからね」

固まった部分だけを慎重に切り落としていく。

パサッ。

黒い髪が床に落ちた。