「ぐ……ぬぬぬっ!」
針を右手に、糸を左手に。
わたしは、さっきから何度も同じことを繰り返していた。
(もうっ! なんで入らないのぉ!?)
針の先っぽにある、小さな小さな穴。
そこに糸を通すだけ。
たった、それだけなのに!
「あっ、通った!」
「わたしもー!」
教室のあちこちから、うれしそうな声が聞こえてくる。
ええっ!?
みんな、もうできたの!?
わたしなんて、まだ一回も成功してないのに!
「ぐぬぬぬ……! 難しいよーーっ!」
とうとう我慢できなくなったわたしは、針と糸を机の上に、ばんっ! と置いた。
そのときだった。
「……天谷さん」
「ん?」
隣から聞こえてきた声に、わたしは顔を上げた。
西条ゆかりさんだった。
「……道具を、乱暴に扱わないで」
「えっ?」
いつもの静かな声。
だけど、少しだけ震えている。
西条さんの眉が、きゅっと寄っていた。
(……あれ?)
なんだか、いつもと違う。
もしかして……怒ってる?
「だ、だって! 全然できないんだもん!」
「……できないことと、道具を乱暴に扱うことは、別」
「うっ……」
西条さんは、わたしの机の上に置かれた針を見つめた。
「……針は、危ないから」
それだけ言うと、自分の手元に視線を戻した。
わたしは、机の上の針を見下ろした。
(……そんなに怒らなくてもいいじゃん)
ちょっと置いただけなのに。
……でも。
西条さんの、あんな顔。
初めて見たかもしれない。
「天谷さん、どうしたの?」
「せ、先生ぇ……! 糸が、全然通らないんですぅ……!」
何度やっても、糸の先が針の穴から逃げてしまう。
そんなわたしを見かねた先生が、机の横にしゃがんだ。
「ふふっ。じゃあ、糸通しを使ってみましょうか」
「いと、とおし?」
「そう。裁縫セットの中に入っているでしょう?」
先生が取り出したのは、小さな銀色の道具だった。
「まず、これを針の穴に通して……」
先生が手際よく動かすと、あんなに苦労していた糸が、するんっ! と針の穴を通り抜けた。
「えええっ!? すごいっ!!」
「ふふっ。便利でしょう?」
「魔法みたい!」
こんな道具があったなんて!
わたしは思わず目を輝かせた。
「さあ、次は玉結びの練習ですよ」
「たまむすび?」
先生が黒板に大きく書いた。
『玉結び』
「糸の端に、小さな結び目を作ることです。先生のお手本をよく見てくださいね」
先生は糸の端を指に巻きつけ、くるりと動かしてから、きゅっと引っ張った。
すると、糸の先に小さな玉ができた。
「わあっ!」
「これを作っておくと、縫い始めたときに糸が布から抜けにくくなるんですよ」
(ふむふむ……なるほど!)
さっそく、わたしも挑戦!
糸を指に巻きつけて……。
くるっとして……。
ぎゅっ!
「……あれ?」
結び目ができない。
もう一回!
くるっとして、ぎゅっ!
「……あれれ?」
糸が、するするっと抜けてしまった。
「だーーっ! うまくいかねぇ!」
「糸が滑っちゃうよー!」
「先生! これ、どうやるんですか!?」
教室のあちこちから、困った声が聞こえてきた。
(な、なんだ……!)
わたしだけじゃないんだ!
ちょっぴり安心して、もう一度糸を指に巻きつける。
「ぐぬぬぬ……!」
だけど、やっぱりできない。
もうっ!
裁縫って、どうしてこんなに難しいの!?
そのとき。
「……できた」
隣から、小さな声が聞こえた。
「えっ?」
顔を向けると、西条さんが糸の端を指先でつまんでいた。
そこには、小さくて、きれいな結び目。
「……えっ!? もう!?」
「……うん」
「一回で!?」
「……うん」
西条さんは、当たり前のことみたいに答えた。
そして、もう一本の糸を手に取ると……。
くるっ。
すっ。
きゅっ。
また、きれいな玉結びができた。
「…………」
わたしは、ぽかんと口を開けた。
(な、なに今の!?)
先生と同じくらい、手が速かった。
それに、全然迷っていなかった。
「……西条さん」
「……なに?」
「もしかして……裁縫、得意なの?」
西条さんは少しだけ首をかしげた。
「……おじいちゃんに、教わってるから」
「へええ……!」
わたしは、西条さんの手元をじっと見つめた。
さっきはちょっと怖かったけど。
(……すごいなあ)
なんだか、魔法みたいだった。
