32歳、推し活女子。大恋愛の失恋の末、アプリで出会ったハイスペ男性に溺愛される(かも)

「ふう」

 タリーズの、外が見える席についた私はついため息をもらしてしまいました。

 会食恐怖症。

 今では少しずつ認知が広がり、 「人前でご飯を食べるのが苦手な人もいるんだ」と世間で知られつつある症状ですが、それでもやはり偏見というか、詐病と思われることが多い病気です。

 以前勤めていた大きな保育園では、その病気のせいでうまく人間関係を築くことができませんでした。

 就職したての懇親会で、私がご飯を食べれずにいると先輩方が私を冷たい目で見てきました。

「ノリが悪い」
「気取っている」
「弱い自分を演出しているのよ」

 そんなことを聞えよがしに言われたのです。
 そして気分を害した先輩方から嫌がらせを受けることになりました。

 靴を隠されたり、面倒な仕事ばかりを押し付けられたり、子どもたちのおやつを作る時に便利な調理器具は使うなと理不尽なことを言われたこともあります。

 さらには就職して6年が経ち、私の年齢も二十代後半になった頃、園の人たちや保護者の方々から嫌味を言われるようになりました。

「ともえ先生はまだ結婚しないの?」

 保育士の女性は結婚相手として男性から人気がある職業のようで、この年齢になると同期などの年齢の近い同僚は寿退社することが増えたのです。

「ともえ先生は結婚はまだ?」

 その質問に私は愛想笑いをしながら答えます。

「はい。そろそろしたいと思っていたんですが、彼氏が突然転職してしまいまして。彼がバタバタしているのでまだ先になりそうです」

 それは本当のことでした。

 ちょうどその頃、彼が私に相談もなしに突然仕事を辞めたのです。
 転職と言いましたが、実はまだ転職活動をしておらず、退職金でしばらくのんびりすると豪語していました。

 本当の話ではあったんですが、先輩には鼻で笑われたのです。

「そう。まあ、甲斐性なしの彼氏とあなたは釣り合っているのかもしれませんね。結婚適齢期を逃さないことを老婆心ですが祈っていますわ」

 そう言って先輩は去っていきました。
 その時の言葉が今も胸に刺さっています。

 同じ女性からそんなことを言われてしまうのです。
 きっと、私には女性としての魅力が乏しいのでしょう。

 だから男性から声をかけられないし、婚活をしてもうまくいかなかったのです。
 今はこうしてマッチングアプリで知り合った石垣さんと二回目のデートをさせてもらっていますが、もしかしたら今日、私に女性としての魅力がないことに気づかれて振られるかもしれません。

 そう考えると、胃が痛い。

 私が顔を歪ませながら外を見つめていると、石垣さんが紅茶を手に戻ってきました。

「お待たせしました。どうしました?難しい顔をしてますね」

 私は無理やり笑顔を作ります。

「いえ、何でもありません。東京ドームに来たのはアニメ歌手のライブ以来だなと思いまして」

 そう取り繕って答えると彼はニコッと笑います。

「そうですよね。推し活をされているんですからライブで来ることありますよね。俺は東京ドームは入ったことないですし、東京ドームシティも初めて来ました」

 その言葉に私は驚きました。
 東京ドームシティはデートの定番だと思っていたので、来たことがないとは思えなかったのです。
 ですので聞いてしまいました。

「これまでデートで来たことはなかったんですか?」

 すると彼は頭を掻きます。

「はい、ありません」

「そうなんですか?でしたら、これまで女性とはどんなデートをされていたんです?お食事とか、お酒とかですか?」

 すると彼は顔を赤くしてうつむきました。

(あれ?もしかして、聞いちゃいけないことを聞いちゃった?)

 せっかくの二度目のデート、今度こそ彼に不快な思いをさせないようにと意気込んで来たのにさっそく彼を落ち込ませるなんて。
 私が自分の失言に落ち込んでいると、彼は消え入りそうな声で話してくれたのです。

「実は俺、小説家になるために東京に来たんです。そして二十年間、働くこと以外の時間は小説の執筆に当てて来ました。女性と仲良くなったことはあるんですけど、俺が小説の執筆を優先しすぎるので振られたんです」

「え?」

 突然のカミングアウトに理解が追いつきませんでした。
 小説家志望?二十年間、遊ぶことがなかった?
 なんだか別世界の人を見ているようです。

 二十年も一つのことに打ち込むって、まるで修行僧のような過酷な暮らしにしか思えません。

 それに女性と仲良くなっても、小説家の夢を優先してきたってことでしょ?
 好きな女性に振られることになっても、夢を諦めずに二十年も走り続けたってこと?
 それって、すごいことじゃない?

 私は素直に尊敬の念を抱きました。

 私の推しの SPECIAL & Marvelous も何年もアイドルを目指して頑張ってきた苦労人たちなのです。
 アイドルと小説家、分野が違うので簡単に比べることはできませんが、それでも二十年頑張り続けた彼は実はすごい人なのでは。

 あまりの告白に呆然としていると、彼は取り繕うように少し慌てて弁明してきました。

「ああ、その、女性をないがしろにしていたつもりはないんです。ただ、タイミングが悪くて。好きだった人といい感じになったタイミングでコンテストに応募していた作品が最終選考に残ったりして、その女性をあまりかまえなかったことは事実です。ただ、本当はいろんな場所に行きたかった。素敵な思い出を作りたかった。それができなかったのは俺が至らなかったからなんです」

 そう言うと、彼は思い悩んだように顔をうつむかせながら前髪をクシャッと握りました。

「本当は受賞して小説家になって女性を養えるようになれたらよかったんですが、小説に時間をかけたのに最終的にはコンテストも落選してしまいました。彼女としては、自分をかまってくれない上に受賞を逃した甲斐性なしと思ったのでしょう。落選と同時に振られたんです」

 それは石垣さんがかわいそうだと思います。
 夢を逃した挙句、愛する女性にも捨てられたのですから。

 ただ、今の話を聞いて私も不安になりました。
 今も小説家を目指しているなら、私と付き合ってもあまりかまってくれないんじゃないかなって。

 前の彼氏がそうでした。
 無職になった後に転職に成功したのですが、その後は仕事にかかりっきりになって疎遠になり最終的には捨てられました。

 石垣さんとお付き合いしたら、彼の時と同じ未来が来るのではないかと不安が募ったのです。

 だから私は石垣さんに聞きました。

「今はどうお考えなんですか?今もお付き合いする女性よりも小説家を目指すことが大切ですか?」

 すると彼は首を横に振りました。

「小説家を目指しますが、タクシーの仕事も順調なので無理をする必要はないと思っています。それに、もう大切な人を失いたくはないんです。小説は空いた時間に書けるので、お付き合いした女性を犠牲にすることはしません」

 そう言うと彼は背筋を伸ばして私をまっすぐに見つめました。
 その視線は先日に会った時のような紳士的な凛とした姿。

 見つめられて思わず私の胸がドキドキしてきます。
 彼は私の目を見つめながら言いました。

「あなたは俺にとって運命の人だと思い始めています」

「えっ!」

 あまりに突然のカミングアウト!
 急な告白に、頭が真っ白になりました。

「え、ええ?どうして?」

「迷惑ですか?」

「い、いえ!そうではないんですが、どうしてそう思えるのか不思議で。だって、私は若くないですし、美人でもないですし、学もありません。ただの保育士で収入も多くないです。低スペックの私じゃ釣り合わないですよ」

 私がそう言うと彼は首を横に振ったんです。

「俺が将来をともにする女性に求めるものはそんなことじゃないんだ。俺は君がいい」

「どうして?」

「だって、君は俺を一人の人間として見てくれるから」

「え?」

 そう聞き返すと、彼は寂しそうに顔を伏せました。

「俺は小説家を目指したいと家族に伝えたら縁を切られました」

「え?」

「実家は事業を営んでいてそれなりに裕福でした。そして、そのぶん家族から厳しく教育されてて、習い事には毎日のように行かされていたんです」

「そうなんですか。子どもの頃にそんな生活は窮屈かもしれないね」

「ええ。でも、それも両親から期待があるからと思っていたんだけど違いました。彼らは俺を跡継ぎという駒にしか思っていなかったんです。家族として扱いされていなかったんですよ。その証拠に俺が彼らのためにならない仕事を目指したらアッサリと切り捨てられました」

「そんな。そんなの、悲しい」

 家族に恵まれた私には想像を絶することでした。
 前の彼氏に振られて塞ぎ込んだ私でしたが、家族に支えられたから乗り切れて今があります。

 家族は最初で最後の、そして最大の味方。
 もし、家族に縁を切られたらと思うと私は生きていけません。

 私が打ちひしがれていると、彼は取り繕うように笑います。

「俺はあまり人間関係の運がないかもしれません。今の仕事は小説の執筆のために休みが多いから始めたんですが、人間関係なんて希薄な仕事です。お客様を目的地まで運ぶだけの仕事だから会話もほとんどありません。しかも俺のお客様は金持ちや地位の高い人が多いんです。そんな人たちにとって俺はただハンドルを握るだけの執事であり、透明人間でした。誰からも相手にされない孤独な人間です」

 そう語ると、彼は私の手を両手で包み込むように握ってきました。

 出会ったばかりの頃なら、 「下心がある!セクハラ!」と思ったことでしょう。
 ですが、今は違います。

 握る彼の手は、まるで宝物を手に取ったような優しい温かさがありました。

 彼は私の手を握りながら、熱のこもった目で私を見つめます。

「でも、橋本さんだけは俺を一人の人間として接してくれている。それがすごく伝わってきます。日比谷の夜、あれだけ俺に推しのことを語ってくれたでしょ?それは俺に自分の好きなものを理解してほしいという気持ちだったんだと思いました。人は好意を持つ相手には自分のことをわかってほしいという気持ちが湧くものだから。あなただけは俺をちゃんと見てくれてるって感じました」

「え、えっと。それは」

 背中に冷たい汗が流れました。

 彼は誤解しています。
 彼は私が石垣さんに好意があって、趣味を理解してほしいと思って饒舌になったと思っているみたいですが、私が熱弁したのはただ 「推しについて語りたかっただけ」というオタクのエゴなのです。

 確かに私も石垣さんのようなハイスペックな人と付き合えたらと思っていますが、本音で言うと 「低スペックな私じゃ釣り合いが取れないよ」と思っていました。

 ましてや、ご実家が事業を営むすごい家庭だと思うとますます身分の差を意識して萎縮してしまいます。

 思わず口ごもる私を、彼は 「大丈夫、わかっている」と言わんばかりに満面の笑みで頷きました。

「俺達はまだ出会って間もないですからね。橋本さんが俺なんかを好きになったなんて自惚れてはいませんよ」

「えっと、そうではなくてですね?」

「今は俺からの一方的な好意だけだと思います。でも、きっといつか橋本さんに俺を好きになってもらいたい」

「え?」

「この前、橋本さんが語った SPECIAL & Marvelous を応援する気持ちはとても強い情熱に感じました。あなたは誰かを全力で応援できる情熱的な人だと確信したんです。そんなあなたに応援される SPECIAL & Marvelous はきっと幸せだ。そう思った時に俺は……」

 そう言って口ごもった彼は、意を決したような表情で言いました。

「——俺は、SPECIAL & Marvelousに嫉妬しました」

 真剣な眼差しでそう言った彼は、私の両手をそっと包み込むように握りしめてきます。
  温かい熱が、緊張で冷えていた私の手にじんわりと伝わってきました。

「あんな風に、誰かを夢中で応援できるあなたの情熱はとても美しい。そんなあなたに、俺も全力を注がれたいと思ったんです。……俺を一人の人間として見てくれるあなたが隣にいてくれたら、きっと、もっと強くなれる」

 まっすぐに見つめられる瞳の奥に、嘘偽りのない熱が揺れています。

 家族にも理解されず、孤独な車内でハンドルを握り続けてきた彼が、私という人間の熱量に救われたと言ってくれている。

(私なんかを、そんな風に思ってくれるの……?)

 不意を突かれた胸の奥が、激しく熱を帯びてキュッと締め付けられました。

 告白の理由としては少し変わっているかもしれない。
 けれど、その不器用で真っ直ぐな言葉は、これまでのどんなお世辞よりも私の胸を深く打ったのでした。