32歳、推し活女子。大恋愛の失恋の末、アプリで出会ったハイスペ男性に溺愛される(かも)

 日比谷ミッドタウンのテラスは6階にありました。

 その日は風も穏やかで、皇居から緑の匂いが混じった爽やかな風が体を包み込みます。
 私は思わず両手を広げて、その風を全身で受け止めました。

「うわあ、気持ちいい!」

 爽快感はひとしおでした。
 ここに来るまで満員電車を乗り継ぎ、丸の内という人混みの中を歩いてきたのです。
 人混みが苦手な私にとって最高の清涼剤となったのです。

 私が風を浴びていますと、石垣さんが笑いかけてきます。

「開放感ありますね。でも、冬のテラスで風が冷たいですけど寒くありませんか?」

 彼は私の体調を心配してくれているのでしょう。
 さっきまでグロッキーな顔をしていたので心配されるのも仕方ありません。

 ですが、寒いのは全然平気。
 むしろ、さっき、自分から手を握ったり、デートの催促をしてしまったせいで顔が熱くて仕方ないのです。

 私は火照った顔を手で仰ぎながら笑い返しました。

「ええ、大丈夫です。むしろ心地良いくらいです」

 自分でも声がはずんでいるのがわかります。
 気分の良さが石垣さんにも伝わったみたいで、彼は安心した顔で頷きました。

「それなら良かった。では奥の方に座りますか?」
「はい!」

 彼に促されて、私たちはテラスの奥へと進みました。
 テラスから見える景色は絶景でした。

 すぐ横には日比谷公園があるのですが、テラスから見る日比谷公園はほとんど森。
 生い茂るように木々が見え、街灯がその木々を幻想的に照らします。

 なんだかキャンプに来たみたい。

 そんな旅行気分の中、日比谷公園の先に湖のように大きな水が見えました。
 内堀ってこんなに大きかったんだ、そうしみじみと思います。

 その皇居の内堀を伝うように大きく伸びた道路は車のランプで埋め尽くされていました。

 地上からその光景を見れば、 (渋滞で動けないのね。かわいそう)と思ってしまうのですが、テラスという特別な場所から見下ろすと、その渋滞も街を彩るイルミネーションの一部に思えるから不思議です。

 そんなことを考えながら歩いていたのですが、奥に行き着いたようで石垣さんが手をかざして促しました。

「ソファー席が空いていますね。こちらに座りますか?」
「ソファー?」

 まさか、こんな屋外のテラスにソファーがあるわけがない。

 そう思っていたのですが、目の前にドーンと置かれたのは自宅にも入りきれないほどに大きくて立派なソファーだったのです。

 横幅だけでも私が二人座れそう。
 そのソファーを見た瞬間、緊張感がぶり返します。

(私が、こんな立派なソファーに座っていいのかしら?)

 やっぱり、テーブル席に。
 そう促そうとしたのですが、私が言葉を発する前に彼は自宅のソファーでくつろぐように大股を開いて座りました。

「お、すごく座り心地いいですよ。ともえさんも座りましょうよ」
「え、あ、はい」

 急に緊張感が湧き上がってきて、ぎくしゃくとソファーに座ります。

(ちょっと!どうしたの、私。さっき、彼の手を自分から握るくらい積極的だったでしょ?なのにどうして挙動不審になっているの!)

 心の中でそう自分をお説教しましたが、気分は戻りません。
 めちゃくちゃ緊張してしまっています。

 胃の痛みが復活し、どよーん、と肩に幽霊が乗ったみたいに気分が重いです。
 きっと、イルミネーションからもらった勇気パワーを使いきったのでしょう。
 魔法にかけられたシンデレラの魔法が解かれた気分。

 ましてや、隣に座っているのは今日会ったばかりの人。
 今更になって緊張感が爆上がりしています。

 彼は先程、私から手を握られたからかとても元気がいい様子。

「見てください、ともえさん。いい景色ですね!俺は普段からあの道路を運転しているんですよ。運転席からだと何の変哲もない景色なんですけど、やっぱりテラスから見ると気持ちいいですね」

 そう言って笑顔を私に向けてきます。
 私は頑張って笑顔を作りました。

「本当にきれいですよね。えーと、その」

 しかし緊張のあまり、言葉が続きません。
 まずい、会話を繋げないと。
 でも、会話をしなきゃと思えば思うほど、頭が真っ白になっていく!

 あれ?何を話せばいいの?
 どんな話題をすれば喜ばれる?

 私が会話を切ったせいで沈黙が流れます。
 沈黙が私をますますパニックにさせていきます。

(ヤバい!パニック症、発病?)

 仕事でも追い詰められるとパニックになります。
 思えば、こんな状況がよくあるから新しい出会いに踏み出せませんでした。

 ちょっと冷静な部分の思考回路がそう判断しますが、 (今はそんなこと考えている場合じゃない!)と自分で自分を叱ります。

 ああ、なんて生きづらい性格なんだろう、私。

 私が落ち込んで黙りこんでいると、彼は怪訝そうな顔で私の顔を覗き込みました。
 その視線が怖い。

(ああ、不審がってる。そうだよね。さっきまでテンション高かったのに、今、急にどんよりだもん。変な子って思われてもしかたないよ)

 私が膝の上で拳をギュッと握っていますと、なんと彼が私の手に自分の手をおいたのです。

「え?」

 顔を上げた私の目を見て、彼は笑いました。

「緊張しているんですね。わかります。これまでメッセージで色々お話しましたけど、実際に会うのは今日が初めてですから緊張するのは当然です。ゆっくり仲良くなりましょう」

 そう言って彼はニコッと笑うのです。

(え、私の気持ちをわかってくれてる?もしかして、エスパー?)

 私が感動で目をうるませていると、彼の方から話題を振ってくれました。

「ともえさんは千葉に住んでいるんですよね。都心にはあまり来ませんか?」

「え、あ、はい。たまに。推しのライブで来るくらいで」

 すると彼はパァッと顔を輝かせました。

「そうでした。ともえさんは推し活しているんですよね。いいですね、推し活。これまでどんなアーティストを応援してきたんですか?」

 石垣さんは興味津々の子どものように聞いてきます。

 推し活の話、してもいいのかな。

 同じ趣味の人じゃないと理解できないどころか、ドン引きすると思うんだけど。
 そう思いつつも、ようやく話せる話題になったことで、少しずつ気分が回復します。

「ええっと、子どもの頃は両親と一緒にゴスペルの男性グループのディナーショーに行ったりしたんですけど、中学生の時にアニメ歌手にハマりまして。そこから雑誌を買ったり、ライブに行くようになりました。そこから徐々に推しが増えて、坂道とかの女性グループを追いかけていたんですけど、卒業とかでメンバーがいなくなるのが寂しくなって最近まで推し活はして来なかったんです。でも最近、テレビの企画で誕生した男性グループにハマって、またライブに行くようになりました」

 そこまで話して、私は彼の顔色を伺いました。

「あの、男性アイドルの話、嫌じゃないですか?」

 すると石垣さんは首をひねります。
「え?いいじゃないですか。男性アイドルの推し活。夢中になれるのは素敵なことですよ。一生懸命夢中になると、日々のストレスが解消されます。俺、なにかに打ち込むことって大切だと思うんですよね。なにか活力が湧きます」

 彼は拳を握りしめながら笑いました。

「ともえさんが応援しているのは、SPECIAL & Marvelous というグループですよね。確か推しは紫のスミレくん。写真で見ましたけど、すごくイケメンですね!」

 その言葉を聞いた瞬間、私の中でカチリとスイッチが入りました。

(ちょっと待って! スミレの魅力を単なる『イケメン』の一言で片付けられては困るわ!)

「イケメンなのは当然なんですけど、それだけじゃないんです! スミレくんはもともと介護士さんで、お年寄りのために働きながら夢を追いかけた苦労人で、雑草魂の塊なんですよ! 最初は歌もダンスも不器用だったのに、血のにじむような努力で……特にあの驚異的なジャンプ力! ライブでのあの躍動感はまさに芸術で——!」

 止まらない。
 一度溢れ出した推しへの熱量が、濁流となって口から飛び出していきます。

(やばい、絶対に引かれてる……! ファンでもない男性にこんなマシンガントークをするなんて!)

 恐る恐るチラリと彼の顔色を窺うと、石垣さんは引くどころか、愛おしいものを見るような甘く柔らかい瞳で私をまっすぐ見つめていました。
 そして、どこまでも楽しそうに頷いてくれるのです。

「へえ、すごいなあ。ともえさんがそんなに夢中になれる理由が分かります。もっと聞かせてください」

 その清々しい笑顔と優しい言葉が、私にさらなる追い油を注ぎました。

「YouTubeの企画もまた凄くて! この間のプレゼント交換の回なんて、彼の天然っぷりが宇宙人級で——!」

 テラスのロマンチックな雰囲気を台無しにする勢いで熱弁を振るう私。
 近くにいたカップルが呆れ顔で立ち去っていくのにも気づかないほど、私は何年ぶりかに「好き」を語る楽しさに没頭していたのでした。