32歳、推し活女子。大恋愛の失恋の末、アプリで出会ったハイスペ男性に溺愛される(かも)

 丸の内仲通りのきらびやかな道を抜けると、大きな道路を挟んで反対側にまるでお城を思わせるような立派なたたずまいの商業施設がありました。

 ここがミッドタウン日比谷なのでしょう。

 明るい茶色の壁がドーンとそびえ、ほのかに温かいライトアップがハイソサエティーな雰囲気を醸し出しています。

 ミッドタウン日比谷の手前にも商業施設があって、それが門のようにミッドタウンの前に待ち構えているのですが、そこも別世界。

 一階には高級ブティック、二階には天井の高いカフェ。

 しかも二階のカフェの窓際では、マダムらしき淑女がインスタでしか見ないような鳥かごにお皿を何段も重ねた超豪華アフタヌーンティーを悠々と召し上がっています。

(うわぁ、本当にあんなすごいアフタヌーンティー、実在するんだ)

 なんだか別世界すぎて目が回ってきました。
 まるでアトラクションのない夢の国に来たみたい。

 石垣さん、こんな上流階級のカフェに入ろうと言うのですか?
 私、地元駅のスタバでもビクビクしちゃう小心者ですよ?
 今、すでに胃が痛いですよ?

 全身を格安通販でコーディネートしている私のような女子が来るところじゃないですって。

(ああ、帰りたい)

 そんなことを考えた時でした。
 そばにいた男性が急に声を荒げたのです。

「Why don't you know where the shop is?!」

 思わずビクッとなりました。

 海外旅行者の男女が言い争いを始めたようでした。
 ロマンスグレーの髪の壮齢な男性が、女性に対して激しく叱責しています。

 それに対して女性の方もヒートアップ。

「It’s your own fault for not looking into it!」

 耳をつんざくような大声が飛び交います。

 思わず私は耳を塞ぎました。
 私は他人が言い争う様子がとても苦手です。

 前の彼氏がそうでした。
 気に入らないことがあると、いつも激昂して叱ってくるのです。
 あの時のことを思い出して思わず萎縮してしまいました。

(海外の人の夫婦喧嘩ってやっぱり壮絶!早く立ち去らないと!)

 そう思った時でした。

「ちょっと待ってて」

 彼はそう言うと、なんと口論をヒートアップさせる二人の元へ。

(え?なに?なんなの?喧嘩が好きなの?)

 もしそうなら逃げちゃおうかな。
 そう思っていたのですが、なんと彼は英語で彼らに話しかけたのです!

「Has some kind of trouble occurred?」

 え、何を言っているのかさっぱりわからない。

 英語なんて高校の授業以来で、短大を出てからは全く触れてきていないのでリスニングすら追いつきません。

 ですが、彼は悠々と英語を話します。
 それどころか、ヒートアップしていたご夫妻が笑顔になっている?

 二言三言言葉を交わした彼らは笑顔で手を掲げて別れました。
 そして彼は朗らかな笑みを浮かべながら戻ってきたのです。

「おまたせしました。問題は解決しました」

「え!解決?」

「ええ」

 石垣さんは彼らの方を見ながら教えてくれました。

「彼らはイギリスからの旅行客で、高架下のモツ煮が有名な居酒屋に行きたかったようなんですが、道がわからなかったようです。それを教えました」

「英語で道案内ができるんですか?」

 すると彼はなんでもないように答えます。

「俺は予約専門のタクシードライバーですよ。道のプロですから」

「でも、あんなに流暢に英語を話せるなんてすごいです!」

 すると彼は照れくさそうに微笑みました。

「今は海外の方が多いですから、仕事のために勉強しているだけですよ」

 その言葉を聞いて、私は彼を尊敬するとともに強い引け目を感じました。

(私なら英語ができても喧嘩の仲裁なんてできない。怖いもの。なんか、彼とは人間としての出来が違うんだわ)

 私が怪訝な表情をしていたからでしょうか、石垣さんは心配そうな顔で私を覗き込んできました。

「大丈夫ですか?具合、悪いんですか?」

 本当に心配してくださっているようで申し訳なくなります。

(せっかく気を使ってくれているのに、私、自分への不満ばかり思っている)

 あまりに申し訳なさすぎて、私は一生懸命、全力で微笑みました。

「いえ、大丈夫です。びっくりしただけですので。歩けば気分も良くなると思います」

 見栄を張って笑いかけます。
 出会ったばかりで 「帰りたい」なんて言ったら、彼は二度と会ってくれないでしょうから。

 あまり演技力には定評がない私ですが、幸いにも彼は騙されてくれました。
 彼はニッコリと笑い、 「そうですか。きっとイルミネーションを見れば気分も良くなると思いますよ」と言って信号が変わると同時に私の背中に手を回して歩き出します。

(あっ……)

 身体が触れるたびに心臓が爆発しそうになります。
 女性慣れしていないと思っていていた相手のエスコートが自然すぎてドキドキが止まりません。

 しかし背中に触れたのも一瞬で、すぐにまた私をエスコートしながら前を歩いてくれるので紳士なのでしょう。

 彼を見ていると私の心はモヤモヤします。

(石垣さん、英語もできてハイスペック。普通に婚活すれば問題なく結婚できそう。きっと若くて綺麗な子でも捕まえられるのに、どうしてわざわざマッチングアプリで知り合った同年代の私なんかと会ってくれただろう?やっぱり、ヤリモク?)

 そんな猜疑心が頭の中で渦を巻いていたのですが、彼がとびっきりの笑顔で振り返ってきました。

「見てください、ともえさん。とてもきれいですよ!」

 彼の少年のような笑顔と声に引き寄せられて顔を上げたのですが、その瞬間、私はその光景に目を奪われたのです。

 目の前に、宝石のように輝く光の洪水が現れていました。
 まるで地面が光の川。

 紫、黄色、白。
 川の水が太陽の光を受けてきらめいているようでした。

 そして、人の視線を吸い寄せるように光は奥へ視線を向ければ向けるほど華やかになっています。

 ミッドタウンの入口の前は広場のようになっているのですが、奥の階段が舞踏会が行われるシンデレラ城のような、一段一段に虹色の光が彩られていました。
 なんだか絵本の世界に入り込んだみたい。

 その感動をさらに盛り上げてくれるのが、一番奥の木でした。

 まるでクリスマスツリーのような大きな木が、淡く、そして白く、幻想的に輝いているのです。

 私は思わず、手を胸の前に当てて見入ってしまいました。

「なんて美しいのでしょう」

 私は美しい光景に目を奪われながらも、その時、なぜか前の彼氏のことが頭をよぎったのです。

(私、彼に何度もイルミネーションを見に行こうって誘ったのに、彼が連れて行ってくれたことは一度もなかった。そもそも彼、お金を出すことをケチっていたから遠出することもほとんどなかったわ。普通のカップルって、きっと、こんなきれいな場所に何度も足を運んで、一緒にきれいだねって言い合って、たくさんの思い出を作るものなのよね。これから私、彼とそんな思い出を作っていけるのかしら)

 悲しい失恋をしたせいで、前向きになりたいのに疑ってしまう私がいます。

 素敵なイルミネーションを前に、そんな悲しいことを考えていますと石垣さんが笑いかけてきました。

「すごく見入っていますね。イルミネーション、好きなんですか?」

 私は内心をごまかすように笑い返しました。

「はい。夜景が好きです。去年はお母さんと一緒によみうりランドの夜景を見に行きました。電車で遠くて、しかも帰りのゴンドラが大渋滞していたのでゆっくり見ることができませんでしたが」

 すると彼はものすごくにこやかな笑顔で頷きました。

「よみうりランドまで電車で行くのは大変だったでしょう。でしたら、今度は俺と車で行きませんか?車でしたら閉園時間ギリギリまでいられますよ。俺もイルミネーションが好きなんです。以前、茨城の霞ヶ浦のイルミネーションを見に行きましたよ。一人で」

 その言葉には驚きました。
 一人でイルミネーションを見に行くなんてすごい度胸です。

 しかも茨城なんて遠い場所なのに。

「一人で!一人でイルミネーションを見に行くなんて度胸ありますね。周りはカップルだらけだったんじゃないですか?」

 そう指摘すると、彼は恥ずかしそうに頭を掻きました。

「ええ、まあ。家族連れもいましたけど、ほとんどカップルでしたね。居づらかったですけど、開き直って写真を撮りまくりましたよ」

 そして彼は私の方を振り返り、ジッと私の目を見つめました。

(え、なに?)

 あまりの真剣な視線に私の心臓が高鳴ります。

 耳にまで届く心臓の音。
 そして、彼の真っ直ぐな言葉が私の心臓を貫きました。

「今度は好きな人と一緒に、素敵なイルミネーションを見たいと心に決めたんです」

 まっすぐ見つめて放たれたその言葉は、まるで愛の告白のように私の胸を甘く締め付けました。
 恥ずかしそうに頬を染める彼の真剣な眼差しに、私の心臓はドクドクと激しく音を立てるのです。

(この人、本気で言ってくれてる……)

 傷つくのが怖くて、ずっとハリネズミみたいに針を逆立てて逃げていた。 だけど、こんなにも真摯に自分をぶつけてくれるこの人となら——。

(逃げちゃダメだ。今度は自分から、幸せを掴みに行くんだ!)

 気がついた時には、私は夢中で彼の手を握りしめていました。

 伝わってくる彼の体温の熱さに、私の手も緊張で震えてしまう。
 それでも逃げ出さないようにぎゅっと力を込め、精一杯の笑顔を向けました。

「あの……よみうりランドのイルミネーション、今月末で終わりなんです。……私を、連れて行ってくれませんか?」

 言った瞬間、「図々しかったかな!?」と血の気が引いたけれど、彼は驚いたように目を見開いたあと、私の手を温かく力強く握り返してくれた。

「もちろん! すぐに予定を合わせましょう。今月末なら急がないとですね」

 破顔した彼の笑顔は少年みたいに可愛くて、思わずキュンとしてしまいました。

 だが、この時の私はまだ知らなかったのです。
 彼が世界中の誰よりもフットワークが軽く、そして規格外の行動力を持った男であったことを——。