「石垣和樹です。これからよろしくお願いします」
彼は優しい声でそう挨拶してくれました。
丁寧な言葉に、ゆっくりした口調。
真面目で、相手のことを思いやっている感じが出ていました。
とても話しやすい人だなとは思いましたが、イケメンを前に私は軽くパニックを起こしてしまいます。
言葉がうまく出て来ないのです。
「は、初めまして。橋本ともえです。その、よろしくお願いします」
自分でもたどたどしい口調だなって思いました。
よく考えてみれば、職場を除いて家族以外の人と話すのは久しぶりなのです。
すると石垣さんは私のショックな気持ちを洗い流すように優しい顔でにっこりと笑います。
「よろしく。それにしても、ともえさんはイメージ通りの方でした」
「え?イメージ通り?」
どういうことでしょう。
緊張している今の私はきっと硬い表情をしているはずです。
これまでのメッセージのやり取りだって、質問に答えるだけの淡白な返しが多かったように思えます。
面白みのない女だとおっしゃりたいのでしょうか。
そんな悪いイメージが頭にまとわりついてハラハラしていると、彼はそんな不安を吹き飛ばすように笑いました。
「ええ!だって人を気遣う優しい雰囲気が溢れ出てますよ」
「え?優しい雰囲気?私が?」
すると彼は屈託なく笑いながら頷きました。
「ええ!橋本さんは質問ばかり送る俺のメッセージにも丁寧に返信してくれました。普通ならそれだけで嫌気が差すのに付き合ってくれたんです。きっと優しい女性だろうなと思っていました。実際に会ってみて、本当に優しい人だと思ったんです」
その言葉を聞いた瞬間、私はなぜか (報われた)と思いました。
心に光が差し込んだような、そんな心境になったのです。
(前の彼氏は私がどんなに尽くしても私を優しい人って言ってくれなかったのに。石垣さんは初対面なのに優しいって言ってくれた)
その優しい言葉はきっと彼の口説き文句だと思います。
私と仲良くなるための詭弁だとわかっていましたが、それでも男性と関わることが少なかった私にとって心を癒す一言になったのです。
思わず心が温かくなりました。
「優しいですか。ありがとう」
それでもぎくしゃくとお辞儀をする私。
緊張のあまり、まるで謝罪会見のような深いお辞儀になってしまいました。
(もっとスマートな返しはできないの?しっかりしろ、私!)
心の中で自分を叱っていると、彼は急に慌て出しました。
「ええ?そんな、頭を下げないでください。むしろ、失礼なことをしたのは俺の方です」
「え?」
顔をあげて彼の顔を見たら、彼の額に汗が出ています。
(どうしたんだろう。私、なにか失礼なことをされたっけ?)
そんなことを考えていると、彼は慌てた様子で釈明をしてきました。
「せっかくアプリでマッチングしたのに、こうして会うまでに3ヶ月もかかってしまってすみませんでした。きっと不安に思いましたよね。本当にごめんなさい」
そう言って彼も私に頭を下げてきたのです。
男性に謝られるなんてめったにないことなので、私もすごく慌てました。
「え?そんな!謝ってもらうことではないですよ!」
私がそう言うと彼は体を起こします。
「不快に思っていませんか?それなら良かった」
そして心から安心した表情で胸をなでおろしました。
「実はマッチングアプリで女性と会うのは初めてでして。どう誘ったらいいかもわからないし、きっと橋本さんもいきなり会うのは怖いだろうしと思うとうまく誘えなかったんです」
「そうだったんですか」
その言葉を聞いて、どこかホッとした私がいます。
こんなしっかりとした男性でも、初めて女性と会う時は緊張するとわかって安心したんです。
緊張しているのは私だけじゃない。
それだけで胸のつっかえが取れたように心が晴れやかになっていきます。
私は今日初めて笑顔を見せることができました。
「大丈夫です。不快に思っていませんよ。私も緊張するタイプなので時間をかけてメッセージをやり取りしてもらってありがたかったです」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
そう言うと彼は私に近づき、背中に腕を回してきました。
突然の接近と接触に、安心感はどこへやら。
再び、一気に緊張感が湧き上がります。
(うわっ、触ってきた!セクハラ!)
……って思ったけれど、彼の大きな手に触れられた背中が熱を帯び、心臓が跳ね上がりました。
ドキドキしていると、石垣さんは私の背中を押してエスコートするように歩き出しました。
彼はニコッと微笑みながら言います。
「ひとまず歩きましょうか。ともえさんは散歩が好きと言ってましたよね。歩いていれば、きっと緊張もほぐれますよ」
そう言いながら彼は歩き出しました。
(ええ?ちょっと、女性慣れしすぎよ!本当にアプリで女性と会うの、初めてなの?)
ぶり返した緊張感で汗をかいていましたが、歩き出すと彼は手を離しました。
思わずホッとします。
ずっと触れられていたら心臓が爆発するところでしたから。
こうしてお散歩デートが始まったのです。
丸ビルの外は想像以上にきらびやかでした。
ちょうどイルミネーションも最後のようで、木々につけられた金色の光がまるで光のトンネルのように輝いています。
一瞬、私はイルミネーションに見とれて立ち止まってしまったのですが、 (あっ、黙って立ち止まったらいけない。初対面なのに待たせちゃう)と思って焦ってしまいます。
ですが、彼は突然立ち止まった私をニコニコと見つめていました。
私が恐る恐る、 「立ち止まってすみません」と謝ると、彼は 「ゆっくり歩きましょう」と言って隣に来ました。
そして歩調をあわせるようにゆっくりと歩きます。
彼は私をエスコートするように少しだけ前を歩いて語りかけて来ました。
「丸の内の仲通りはあまり来ませんか?」
私は小さくうなずきます。
「はい。都心に出てくること自体ないんです。人混みが苦手で」
すると彼は心配そうな顔をします。
「そうでしたか。メッセージのやり取りで、ともえさんが人の集まる場所が苦手だとわかっていましたが、こういう場所で待ち合わせたのは失敗でしたね」
気を使わせてしまったと思い、私は慌てて否定しました。
「いいえ。イルミネーションは好きなんです。だから大丈夫ですよ。それに外は人混みでも開放的なので、苦しくはないです」
私の言葉を聞いて、彼は安心した顔でうなずきます。
「それは良かった。でしたら散歩を楽しみましょう。この先のミッドタウン日比谷でもイルミネーションをしているそうですよ。それに日比谷公園もあります」
その言葉を聞いて私の気分は晴れやかになりました。
今までの不安が嘘のように晴れやかになる私。
「いいですね。イルミネーションもいいですけど、日比谷公園は自然を感じられます。推しがアーシングを推しているんですよ。ご存知ですか?アーシング。本来の意味は素足で大地に触れる健康法なんですけど、裸足になるのはハードルが高いですよね。だから推しは自然に触れることがアーシングだと言ってまして、こうして落ち着いた気持ちで散歩することが私にとってのアーシングなんです!」
そこまで言って、ハッと我に返ります。
(いけない、つい推しの話題を出しちゃった。しかも、アーシングって聞き慣れない言葉を使いながらペラペラといっぱい喋っちゃった。石垣さん、引いてない?男性アイドルの話題が嫌じゃないかな?)
そう思いながら彼の顔色を伺いましたが、彼は変わらずにニコニコと笑っています。
「アーシング!いい言葉ですね。なんか、散歩って言葉にして言うよりもリラックス効果が高そうに思います」
その言葉を聞いて、私は嬉しくなりました。
男性に推し活の話題を振ったのに、嫌がるどころか話を合わせてくれるなんて!
こんな男性、出会ったことありません!
「ですよね!アーシングって言葉の響きもいいから気に入っているんですよ。私は千葉に住んでいるんですけど、海も近いからよく散歩してアーシングしているんです」
ついその場で深呼吸をしてしまいます。
そして彼は私に習って深呼吸まで一緒にしてくれました。
「すーはー」
手を大きく広げて、まるで森林浴をしているみたいに深呼吸をしてくれたんです。
そして彼は笑って言いました。
「たしかに。アーシングって聞いて深呼吸すると気分がいいね!リラックスできる」
その瞬間、 (この人、素敵かも)と心から思えたのです。
私の言葉を否定しないし、私の好きな話題もちゃんと聞いてくれます。
それにちゃんと私の目を見て話してくれるし、共感も示してくれるのです。
前の彼氏はいつも相槌がおざなりで、聞いているのかいないのかもわからない人でした。
音楽の趣味が同じだったし、カラオケがうまい人だったので付き合いも長かったのですが、今、石垣さんの隣にいると、彼は私のことを見てくれていなかったんだなと思ってしまいます。
(いまさらになって思う、どうして私、あいつと8年も付き合ってきたんだろう)
そう考えてしまい、私は首を振りました。
いけない、せっかく私と会ってくれているのに、私が他の男性のことを考えているなんて石垣さんに失礼だ。
そう思うと申し訳なく思えてしまって、私はついつい黙り込んでしまいます。
すると彼が心配そうに私の顔を覗き込んできました。
「大丈夫ですか?少し歩いたらカフェで休憩しましょうか?」
「いえ、その、大丈夫です」
「そうですか?でも、せっかくですからゆっくりとお話したいんです。カフェに入りましょうか」
その言葉で私は困ってしまいました。
本当にこのまま歩いていても大丈夫なんです。
それに正直なところ、カフェには入りたくありませんでした。
実は私、食事を人に見られるのが苦手なのです。
会食恐怖症と言うと大げさですが、大勢の人の目があるところでご飯が食べられません。
これまで知り合った男性やマチアプでつながった男性と前に進めなかったのも、そのことが原因です。
(そうよね。みんな、お酒とか食事とかで親睦を深めるんだもの。私みたいに人前で食事ができないと会いたくもないよね)
本当はカフェも断りたいけど、断ったらもう二度と会ってくれないかも。
そう思うとむげに断ることもできません。
正直に伝えたいけど、人前での食事が苦手って伝えたら嫌われるかな?
ヒヤヒヤしながら、どう伝えようか悩んでいますと、石垣さんはニコニコ笑いながらうなずきました。
「……気が乗らないんですね。わかりました」
私が黙り込んだのを見て、彼はすぐに察したようにふっと優しく微笑みます。
嫌な顔ひとつせず、責めることもしませんでした。
「じゃあ、無理にカフェに入らなくてもいいですよ。この先、夜景が見える綺麗なスペースがあったはずだから、そこでゆっくりお話ししましょう」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸に温かいものが広がったのです。
前の彼氏なら「せっかく入ろうとしたのに何でだよ」と面倒臭そうに不機嫌になったはず。
それなのに、石垣さんは私の些細なためらいすら見逃さず、一番居心地の良い選択をしてくれる。
(この人、どこまで優しいの……? 嘘みたい。優しすぎて、私の前には今、間違いなく神様が降臨している……!)
ペンライトを持っていたら、全力で振り回しながら「神! 神!」と叫びたい衝動に駆られました。
初めてのアプリの出会いで、こんなにも温かくて優しい男性に出会えるなんて。
イルミネーションの光に包まれた横顔を見上げながら、私はこれまでにないほど胸を高鳴らせていました。
彼は優しい声でそう挨拶してくれました。
丁寧な言葉に、ゆっくりした口調。
真面目で、相手のことを思いやっている感じが出ていました。
とても話しやすい人だなとは思いましたが、イケメンを前に私は軽くパニックを起こしてしまいます。
言葉がうまく出て来ないのです。
「は、初めまして。橋本ともえです。その、よろしくお願いします」
自分でもたどたどしい口調だなって思いました。
よく考えてみれば、職場を除いて家族以外の人と話すのは久しぶりなのです。
すると石垣さんは私のショックな気持ちを洗い流すように優しい顔でにっこりと笑います。
「よろしく。それにしても、ともえさんはイメージ通りの方でした」
「え?イメージ通り?」
どういうことでしょう。
緊張している今の私はきっと硬い表情をしているはずです。
これまでのメッセージのやり取りだって、質問に答えるだけの淡白な返しが多かったように思えます。
面白みのない女だとおっしゃりたいのでしょうか。
そんな悪いイメージが頭にまとわりついてハラハラしていると、彼はそんな不安を吹き飛ばすように笑いました。
「ええ!だって人を気遣う優しい雰囲気が溢れ出てますよ」
「え?優しい雰囲気?私が?」
すると彼は屈託なく笑いながら頷きました。
「ええ!橋本さんは質問ばかり送る俺のメッセージにも丁寧に返信してくれました。普通ならそれだけで嫌気が差すのに付き合ってくれたんです。きっと優しい女性だろうなと思っていました。実際に会ってみて、本当に優しい人だと思ったんです」
その言葉を聞いた瞬間、私はなぜか (報われた)と思いました。
心に光が差し込んだような、そんな心境になったのです。
(前の彼氏は私がどんなに尽くしても私を優しい人って言ってくれなかったのに。石垣さんは初対面なのに優しいって言ってくれた)
その優しい言葉はきっと彼の口説き文句だと思います。
私と仲良くなるための詭弁だとわかっていましたが、それでも男性と関わることが少なかった私にとって心を癒す一言になったのです。
思わず心が温かくなりました。
「優しいですか。ありがとう」
それでもぎくしゃくとお辞儀をする私。
緊張のあまり、まるで謝罪会見のような深いお辞儀になってしまいました。
(もっとスマートな返しはできないの?しっかりしろ、私!)
心の中で自分を叱っていると、彼は急に慌て出しました。
「ええ?そんな、頭を下げないでください。むしろ、失礼なことをしたのは俺の方です」
「え?」
顔をあげて彼の顔を見たら、彼の額に汗が出ています。
(どうしたんだろう。私、なにか失礼なことをされたっけ?)
そんなことを考えていると、彼は慌てた様子で釈明をしてきました。
「せっかくアプリでマッチングしたのに、こうして会うまでに3ヶ月もかかってしまってすみませんでした。きっと不安に思いましたよね。本当にごめんなさい」
そう言って彼も私に頭を下げてきたのです。
男性に謝られるなんてめったにないことなので、私もすごく慌てました。
「え?そんな!謝ってもらうことではないですよ!」
私がそう言うと彼は体を起こします。
「不快に思っていませんか?それなら良かった」
そして心から安心した表情で胸をなでおろしました。
「実はマッチングアプリで女性と会うのは初めてでして。どう誘ったらいいかもわからないし、きっと橋本さんもいきなり会うのは怖いだろうしと思うとうまく誘えなかったんです」
「そうだったんですか」
その言葉を聞いて、どこかホッとした私がいます。
こんなしっかりとした男性でも、初めて女性と会う時は緊張するとわかって安心したんです。
緊張しているのは私だけじゃない。
それだけで胸のつっかえが取れたように心が晴れやかになっていきます。
私は今日初めて笑顔を見せることができました。
「大丈夫です。不快に思っていませんよ。私も緊張するタイプなので時間をかけてメッセージをやり取りしてもらってありがたかったです」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
そう言うと彼は私に近づき、背中に腕を回してきました。
突然の接近と接触に、安心感はどこへやら。
再び、一気に緊張感が湧き上がります。
(うわっ、触ってきた!セクハラ!)
……って思ったけれど、彼の大きな手に触れられた背中が熱を帯び、心臓が跳ね上がりました。
ドキドキしていると、石垣さんは私の背中を押してエスコートするように歩き出しました。
彼はニコッと微笑みながら言います。
「ひとまず歩きましょうか。ともえさんは散歩が好きと言ってましたよね。歩いていれば、きっと緊張もほぐれますよ」
そう言いながら彼は歩き出しました。
(ええ?ちょっと、女性慣れしすぎよ!本当にアプリで女性と会うの、初めてなの?)
ぶり返した緊張感で汗をかいていましたが、歩き出すと彼は手を離しました。
思わずホッとします。
ずっと触れられていたら心臓が爆発するところでしたから。
こうしてお散歩デートが始まったのです。
丸ビルの外は想像以上にきらびやかでした。
ちょうどイルミネーションも最後のようで、木々につけられた金色の光がまるで光のトンネルのように輝いています。
一瞬、私はイルミネーションに見とれて立ち止まってしまったのですが、 (あっ、黙って立ち止まったらいけない。初対面なのに待たせちゃう)と思って焦ってしまいます。
ですが、彼は突然立ち止まった私をニコニコと見つめていました。
私が恐る恐る、 「立ち止まってすみません」と謝ると、彼は 「ゆっくり歩きましょう」と言って隣に来ました。
そして歩調をあわせるようにゆっくりと歩きます。
彼は私をエスコートするように少しだけ前を歩いて語りかけて来ました。
「丸の内の仲通りはあまり来ませんか?」
私は小さくうなずきます。
「はい。都心に出てくること自体ないんです。人混みが苦手で」
すると彼は心配そうな顔をします。
「そうでしたか。メッセージのやり取りで、ともえさんが人の集まる場所が苦手だとわかっていましたが、こういう場所で待ち合わせたのは失敗でしたね」
気を使わせてしまったと思い、私は慌てて否定しました。
「いいえ。イルミネーションは好きなんです。だから大丈夫ですよ。それに外は人混みでも開放的なので、苦しくはないです」
私の言葉を聞いて、彼は安心した顔でうなずきます。
「それは良かった。でしたら散歩を楽しみましょう。この先のミッドタウン日比谷でもイルミネーションをしているそうですよ。それに日比谷公園もあります」
その言葉を聞いて私の気分は晴れやかになりました。
今までの不安が嘘のように晴れやかになる私。
「いいですね。イルミネーションもいいですけど、日比谷公園は自然を感じられます。推しがアーシングを推しているんですよ。ご存知ですか?アーシング。本来の意味は素足で大地に触れる健康法なんですけど、裸足になるのはハードルが高いですよね。だから推しは自然に触れることがアーシングだと言ってまして、こうして落ち着いた気持ちで散歩することが私にとってのアーシングなんです!」
そこまで言って、ハッと我に返ります。
(いけない、つい推しの話題を出しちゃった。しかも、アーシングって聞き慣れない言葉を使いながらペラペラといっぱい喋っちゃった。石垣さん、引いてない?男性アイドルの話題が嫌じゃないかな?)
そう思いながら彼の顔色を伺いましたが、彼は変わらずにニコニコと笑っています。
「アーシング!いい言葉ですね。なんか、散歩って言葉にして言うよりもリラックス効果が高そうに思います」
その言葉を聞いて、私は嬉しくなりました。
男性に推し活の話題を振ったのに、嫌がるどころか話を合わせてくれるなんて!
こんな男性、出会ったことありません!
「ですよね!アーシングって言葉の響きもいいから気に入っているんですよ。私は千葉に住んでいるんですけど、海も近いからよく散歩してアーシングしているんです」
ついその場で深呼吸をしてしまいます。
そして彼は私に習って深呼吸まで一緒にしてくれました。
「すーはー」
手を大きく広げて、まるで森林浴をしているみたいに深呼吸をしてくれたんです。
そして彼は笑って言いました。
「たしかに。アーシングって聞いて深呼吸すると気分がいいね!リラックスできる」
その瞬間、 (この人、素敵かも)と心から思えたのです。
私の言葉を否定しないし、私の好きな話題もちゃんと聞いてくれます。
それにちゃんと私の目を見て話してくれるし、共感も示してくれるのです。
前の彼氏はいつも相槌がおざなりで、聞いているのかいないのかもわからない人でした。
音楽の趣味が同じだったし、カラオケがうまい人だったので付き合いも長かったのですが、今、石垣さんの隣にいると、彼は私のことを見てくれていなかったんだなと思ってしまいます。
(いまさらになって思う、どうして私、あいつと8年も付き合ってきたんだろう)
そう考えてしまい、私は首を振りました。
いけない、せっかく私と会ってくれているのに、私が他の男性のことを考えているなんて石垣さんに失礼だ。
そう思うと申し訳なく思えてしまって、私はついつい黙り込んでしまいます。
すると彼が心配そうに私の顔を覗き込んできました。
「大丈夫ですか?少し歩いたらカフェで休憩しましょうか?」
「いえ、その、大丈夫です」
「そうですか?でも、せっかくですからゆっくりとお話したいんです。カフェに入りましょうか」
その言葉で私は困ってしまいました。
本当にこのまま歩いていても大丈夫なんです。
それに正直なところ、カフェには入りたくありませんでした。
実は私、食事を人に見られるのが苦手なのです。
会食恐怖症と言うと大げさですが、大勢の人の目があるところでご飯が食べられません。
これまで知り合った男性やマチアプでつながった男性と前に進めなかったのも、そのことが原因です。
(そうよね。みんな、お酒とか食事とかで親睦を深めるんだもの。私みたいに人前で食事ができないと会いたくもないよね)
本当はカフェも断りたいけど、断ったらもう二度と会ってくれないかも。
そう思うとむげに断ることもできません。
正直に伝えたいけど、人前での食事が苦手って伝えたら嫌われるかな?
ヒヤヒヤしながら、どう伝えようか悩んでいますと、石垣さんはニコニコ笑いながらうなずきました。
「……気が乗らないんですね。わかりました」
私が黙り込んだのを見て、彼はすぐに察したようにふっと優しく微笑みます。
嫌な顔ひとつせず、責めることもしませんでした。
「じゃあ、無理にカフェに入らなくてもいいですよ。この先、夜景が見える綺麗なスペースがあったはずだから、そこでゆっくりお話ししましょう」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸に温かいものが広がったのです。
前の彼氏なら「せっかく入ろうとしたのに何でだよ」と面倒臭そうに不機嫌になったはず。
それなのに、石垣さんは私の些細なためらいすら見逃さず、一番居心地の良い選択をしてくれる。
(この人、どこまで優しいの……? 嘘みたい。優しすぎて、私の前には今、間違いなく神様が降臨している……!)
ペンライトを持っていたら、全力で振り回しながら「神! 神!」と叫びたい衝動に駆られました。
初めてのアプリの出会いで、こんなにも温かくて優しい男性に出会えるなんて。
イルミネーションの光に包まれた横顔を見上げながら、私はこれまでにないほど胸を高鳴らせていました。
