「さすがに疲れたよ」
和樹さんは額を手で押さえながら天を仰ぎます。
その姿はまるで盗賊の群れを刀一本で討伐した侍のようでした。
誇らしげにしながらも精根尽き果てたような、戦う男の表情に見えます。
ただ、実際はそんな勇ましいことは何一つしていないんですけどね。
サンダードルフィンを楽しんだあと、私たちは下の階にあるお化け屋敷に行ったのです。
そこはストーリー仕立てのホラーハウス 『終末病棟』。
新人看護師になったという設定で、廃墟と化した病院の怨霊と対峙するというもの。
以前、私が友達とお化け屋敷に入った時は別の内容でしたが、あまりに怖すぎて途中リタイヤしたことがあるのです。
「和樹さんはお化け屋敷は平気ですか?」
そう聞いたところ、自信満々に、 「実は俺、友達と毎年肝試しに行っているんだよ。お化け屋敷くらい余裕だ」と親指を立ててドヤ顔を披露していました。
実際に入ったのですが、ジェットコースターの時とは違って堂々とした様子で進んでいきます。
むしろ、私の方が前回と同じで恐怖で立ち尽くしてしまいました。
「怖い、すごく怖い。どうしてそんなに怖くするの?」
通路はボロボロの壁。
明るさはかろうじて歩ける程度。
湿った空気が鼻腔をくすぐり、なんだか死の香りを感じさせます。
私が手で顔を覆って立ち尽くしていると、和樹さんが手を差し出してきました。
そして、何も言わずに優しく手を握ってくれます。
無言で握られたのが良かったです。
改まって、 「手を握ろうか」とか言われたら、逆に恥ずかしくなって握れなかったと思いますから。
私は両手で彼の手を握り、引っ張られながら歩きました。
力強いその手が私に安心感を与えます。
そこまでは良かったのです。
すごく安心できて、頼りがいを感じることができました。
ですが、彼は突発的な出来事に弱いみたいです。
「開けるぞ」
そう言って病室のドアを開けた時、目の前に首吊り自殺した死体がぶら下がっていました。
「うわあっ!」
「きゃあっ!」
二人して叫んだその時です。
ドンドンドン!
部屋の両隣から激しく壁が叩かれました。
私たちは抱き合って震えます。
そして、さらに嬌声が響きました。
「ウウアアァァァ!」
首吊り自殺の死体が声を上げながら、ゆっくりと迫ってきたのです。
それと合わせるように、さらに部屋の壁がドンドンドンッ!と叩かれました。
私はパニックになり、思わずしゃがみ込みます。
すると、なんと和樹さんが私をかばうように死体の前に立つではありませんか!
迫る死体。
座り込んだ私。
そして、死体を立ち塞ぐ和樹さん。
きっと、本来なら私たちは幽霊から逃げるように部屋を壁伝いに回り、死体を撒いて次に進むべきだったのです。
ただ、私が動かなかったせいで死体は私たちに追いつきました。
そして、ドゴンッ!と和樹さんにぶつかったのです。
死体はマネキンでした。
ワイヤーで吊るしていたらしく、ゴツンとぶつかったあとはヌメッと和樹さんの体を舐めるように通り過ぎます。
それが気持ち悪かったようで、和樹さんは全身を手でこすりながら、 「うわああ!」と悲鳴を上げました。
そして座り込む私を引きずって部屋を出たのです。
部屋を出た和樹さんは、 「うわ、うわ!気色悪い!」と言って全身をさすりました。
そして助けられた私はというと、クスクスと笑ってしまったのです。
男性が女性のような悲鳴を上げて逃げたことと、全身をさする仕草を面白く感じました。
「すごい悲鳴でしたね」
嘲笑うつもりはなかったのですが、彼は顔を真っ赤にして私の手を引いてズンズンと進み始めました。
(怒ったかな?)
そう思って彼の顔色を伺ったのですが、次の瞬間、壁の隙間から幽霊が勢いよく、 「ガアアァァ!」と顔を出したのです。
「わあああああ!」
悲鳴を上げたのはまたも和樹さんの方でした。
さっきの出来事で心が折れたようで、それまで私の前で格好つけていたのが嘘のように怖がるようになったのです。
壁を叩かれれば、 「いやあああ!」。
幽霊が顔を出せば、 「きゃあああ!」。
スモークをたかれただけで、 「ひゃあああ!」。
反応を見るだけで面白く、ついつい私は立ち止まって笑ってしまったのです。
私が笑うたびに彼はばつが悪そうな顔をして、 「ほら、行くぞ」と引っ張りました。
たびたび、立ち止まったせいでしょう。
ようやく最後の部屋を抜け、明るい通路に出ました。
和樹さんは安堵のあまり、胸をなでおろします。
「良かった。やっと終わった」
そう油断した瞬間、ガチャリと後ろからドアが開く音が響きました。
私は凍りつき、彼はまたも 「いやぁ!」と女の子のような悲鳴を上げます。
そこにいたのは、普通の私服を着たカップル。
なんのことはありません。
私たちが遅すぎて、後ろの人に追いつかれたのです。
ポカンとするカップル。
固まる私たち。
最初に我に返ったのは和樹さんで、彼は顔を一段と真っ赤にしながら、 「す、すみませんでした!」と言って私の手を引いてお化け屋敷の外に出たのです。
私は笑いをこらえきれませんでした。
「プッ!くすくすくす」
笑ってしまいましたが、彼が女の子のような悲鳴をあげるようになったのは私がしゃがみ込んだせいです。
後ろのカップルに追いつかれたのも、私がたびたび立ち止まったせいでしょう。
それなのに私が笑うなんてひどい態度だと思いますが、それでも笑わずにはいられなかったのです。
こんなに誰かと一緒にいて楽しいのは久しぶりだったので。
それにお化け屋敷という怖い場所で笑う出来事があったというギャップが私の笑いのツボを刺激し続けています。
こうしてお化け屋敷の外に出ても、ツボに入って笑いが止まりません。
「クスクスクスクス」
和樹さんに引きずられて歩いていたのですが、気づけば東京ドームの入口近くにいました。
きっと、人が多いところだと恥ずかしかったのでしょう。
私も人気の少ない場所に来たことで、少し気持ちが落ち着きました。
「ああ、面白かった」
そう感想を告げる私に、和樹さんはグッタリとした顔で言いました。
「笑いすぎだよ。ともえさんがしゃがみ込んだりするからいけないんだ」
言葉は私を責めていましたが、口調は優しいものでした。
私のせいで恥をかいたのですから、もっと責めてもいいのに本当に優しい人です。
「ごめんなさい」
一応、謝罪します。
笑いながらの謝罪なので、きっと謝罪の気持ちは伝わっていません。
ですが、親しみを込めて言ったつもりです。
その思いは伝わったのか、彼は笑いながら、 「まったく、もう」と言いました。
そして通りがかったお店の看板を見て私に提案します。
「じゃあ、俺に恥をかかせた罰として休憩に付き合ってもらうよ。タコベルでいい?」
あまりにも自然に誘われたお店ですが、私はタコベルというお店の名前を初めて聞きました。
「タコベル?なんのお店ですか?」
すると彼は驚いた顔をします。
「え?タコベル、知らない?タコスのお店」
私は首を横に振ります。
「初めて聞いた。有名なの?」
「店舗数は多くないから知らなくても仕方ないかもね。でも、美味しいよ。食べたことがないなら寄っていこう」
そう言って彼は私の顔色を伺いました。
きっと、会食恐怖症のことがあるから反応を気にしているのでしょう。
本当は飲食店には入りたくありません。
食べている様子を見られるのは嫌です。
でも彼に迷惑をかけたので、これくらいはお付き合いしたいという気持ちもあります。
それに彼のオススメなら、どんな味か確かめてみたい。
私は恐る恐るうなずきました。
「わかった。行きましょう」
すると彼も嬉しそうにうなずきました。
「行こう、行こう。きっと気に入ると思うよ」
「……でも、きっと残しちゃうと思う」
ぽつりと呟いた私に、和樹さんは繋いだ手にギュッと力を込めました。
そして、私の不安を丸ごと包み込むような、底抜けに優しくて甘い笑みを向けたのです。
「大丈夫。もし途中で食べられないと思ったら、一口かじった後でも何でも俺に渡しなよ。……ともえさんのものなら、俺が全部喜んで食べてあげるから」
以前、前職でのトラウマや「食事を残して怒られた」という私の告白を、彼はしっかりと覚えていてくれたのだ。
(この人……本当に、どこまで私を甘やかしてくれるの……?)
人前で食べることの恐怖も、残してしまう罪悪感も、彼のその一言だけで綺麗に消え去っていく。
胸の奥が熱く熱く熱を帯びて、私は繋がれた手を見つめながら、心からの思いを込めて頷きました。
「……ありがとう、和樹さん」
ギュッと握り返した私の手に応えるように、彼は嬉しそうに目を細めたのだった。
和樹さんは額を手で押さえながら天を仰ぎます。
その姿はまるで盗賊の群れを刀一本で討伐した侍のようでした。
誇らしげにしながらも精根尽き果てたような、戦う男の表情に見えます。
ただ、実際はそんな勇ましいことは何一つしていないんですけどね。
サンダードルフィンを楽しんだあと、私たちは下の階にあるお化け屋敷に行ったのです。
そこはストーリー仕立てのホラーハウス 『終末病棟』。
新人看護師になったという設定で、廃墟と化した病院の怨霊と対峙するというもの。
以前、私が友達とお化け屋敷に入った時は別の内容でしたが、あまりに怖すぎて途中リタイヤしたことがあるのです。
「和樹さんはお化け屋敷は平気ですか?」
そう聞いたところ、自信満々に、 「実は俺、友達と毎年肝試しに行っているんだよ。お化け屋敷くらい余裕だ」と親指を立ててドヤ顔を披露していました。
実際に入ったのですが、ジェットコースターの時とは違って堂々とした様子で進んでいきます。
むしろ、私の方が前回と同じで恐怖で立ち尽くしてしまいました。
「怖い、すごく怖い。どうしてそんなに怖くするの?」
通路はボロボロの壁。
明るさはかろうじて歩ける程度。
湿った空気が鼻腔をくすぐり、なんだか死の香りを感じさせます。
私が手で顔を覆って立ち尽くしていると、和樹さんが手を差し出してきました。
そして、何も言わずに優しく手を握ってくれます。
無言で握られたのが良かったです。
改まって、 「手を握ろうか」とか言われたら、逆に恥ずかしくなって握れなかったと思いますから。
私は両手で彼の手を握り、引っ張られながら歩きました。
力強いその手が私に安心感を与えます。
そこまでは良かったのです。
すごく安心できて、頼りがいを感じることができました。
ですが、彼は突発的な出来事に弱いみたいです。
「開けるぞ」
そう言って病室のドアを開けた時、目の前に首吊り自殺した死体がぶら下がっていました。
「うわあっ!」
「きゃあっ!」
二人して叫んだその時です。
ドンドンドン!
部屋の両隣から激しく壁が叩かれました。
私たちは抱き合って震えます。
そして、さらに嬌声が響きました。
「ウウアアァァァ!」
首吊り自殺の死体が声を上げながら、ゆっくりと迫ってきたのです。
それと合わせるように、さらに部屋の壁がドンドンドンッ!と叩かれました。
私はパニックになり、思わずしゃがみ込みます。
すると、なんと和樹さんが私をかばうように死体の前に立つではありませんか!
迫る死体。
座り込んだ私。
そして、死体を立ち塞ぐ和樹さん。
きっと、本来なら私たちは幽霊から逃げるように部屋を壁伝いに回り、死体を撒いて次に進むべきだったのです。
ただ、私が動かなかったせいで死体は私たちに追いつきました。
そして、ドゴンッ!と和樹さんにぶつかったのです。
死体はマネキンでした。
ワイヤーで吊るしていたらしく、ゴツンとぶつかったあとはヌメッと和樹さんの体を舐めるように通り過ぎます。
それが気持ち悪かったようで、和樹さんは全身を手でこすりながら、 「うわああ!」と悲鳴を上げました。
そして座り込む私を引きずって部屋を出たのです。
部屋を出た和樹さんは、 「うわ、うわ!気色悪い!」と言って全身をさすりました。
そして助けられた私はというと、クスクスと笑ってしまったのです。
男性が女性のような悲鳴を上げて逃げたことと、全身をさする仕草を面白く感じました。
「すごい悲鳴でしたね」
嘲笑うつもりはなかったのですが、彼は顔を真っ赤にして私の手を引いてズンズンと進み始めました。
(怒ったかな?)
そう思って彼の顔色を伺ったのですが、次の瞬間、壁の隙間から幽霊が勢いよく、 「ガアアァァ!」と顔を出したのです。
「わあああああ!」
悲鳴を上げたのはまたも和樹さんの方でした。
さっきの出来事で心が折れたようで、それまで私の前で格好つけていたのが嘘のように怖がるようになったのです。
壁を叩かれれば、 「いやあああ!」。
幽霊が顔を出せば、 「きゃあああ!」。
スモークをたかれただけで、 「ひゃあああ!」。
反応を見るだけで面白く、ついつい私は立ち止まって笑ってしまったのです。
私が笑うたびに彼はばつが悪そうな顔をして、 「ほら、行くぞ」と引っ張りました。
たびたび、立ち止まったせいでしょう。
ようやく最後の部屋を抜け、明るい通路に出ました。
和樹さんは安堵のあまり、胸をなでおろします。
「良かった。やっと終わった」
そう油断した瞬間、ガチャリと後ろからドアが開く音が響きました。
私は凍りつき、彼はまたも 「いやぁ!」と女の子のような悲鳴を上げます。
そこにいたのは、普通の私服を着たカップル。
なんのことはありません。
私たちが遅すぎて、後ろの人に追いつかれたのです。
ポカンとするカップル。
固まる私たち。
最初に我に返ったのは和樹さんで、彼は顔を一段と真っ赤にしながら、 「す、すみませんでした!」と言って私の手を引いてお化け屋敷の外に出たのです。
私は笑いをこらえきれませんでした。
「プッ!くすくすくす」
笑ってしまいましたが、彼が女の子のような悲鳴をあげるようになったのは私がしゃがみ込んだせいです。
後ろのカップルに追いつかれたのも、私がたびたび立ち止まったせいでしょう。
それなのに私が笑うなんてひどい態度だと思いますが、それでも笑わずにはいられなかったのです。
こんなに誰かと一緒にいて楽しいのは久しぶりだったので。
それにお化け屋敷という怖い場所で笑う出来事があったというギャップが私の笑いのツボを刺激し続けています。
こうしてお化け屋敷の外に出ても、ツボに入って笑いが止まりません。
「クスクスクスクス」
和樹さんに引きずられて歩いていたのですが、気づけば東京ドームの入口近くにいました。
きっと、人が多いところだと恥ずかしかったのでしょう。
私も人気の少ない場所に来たことで、少し気持ちが落ち着きました。
「ああ、面白かった」
そう感想を告げる私に、和樹さんはグッタリとした顔で言いました。
「笑いすぎだよ。ともえさんがしゃがみ込んだりするからいけないんだ」
言葉は私を責めていましたが、口調は優しいものでした。
私のせいで恥をかいたのですから、もっと責めてもいいのに本当に優しい人です。
「ごめんなさい」
一応、謝罪します。
笑いながらの謝罪なので、きっと謝罪の気持ちは伝わっていません。
ですが、親しみを込めて言ったつもりです。
その思いは伝わったのか、彼は笑いながら、 「まったく、もう」と言いました。
そして通りがかったお店の看板を見て私に提案します。
「じゃあ、俺に恥をかかせた罰として休憩に付き合ってもらうよ。タコベルでいい?」
あまりにも自然に誘われたお店ですが、私はタコベルというお店の名前を初めて聞きました。
「タコベル?なんのお店ですか?」
すると彼は驚いた顔をします。
「え?タコベル、知らない?タコスのお店」
私は首を横に振ります。
「初めて聞いた。有名なの?」
「店舗数は多くないから知らなくても仕方ないかもね。でも、美味しいよ。食べたことがないなら寄っていこう」
そう言って彼は私の顔色を伺いました。
きっと、会食恐怖症のことがあるから反応を気にしているのでしょう。
本当は飲食店には入りたくありません。
食べている様子を見られるのは嫌です。
でも彼に迷惑をかけたので、これくらいはお付き合いしたいという気持ちもあります。
それに彼のオススメなら、どんな味か確かめてみたい。
私は恐る恐るうなずきました。
「わかった。行きましょう」
すると彼も嬉しそうにうなずきました。
「行こう、行こう。きっと気に入ると思うよ」
「……でも、きっと残しちゃうと思う」
ぽつりと呟いた私に、和樹さんは繋いだ手にギュッと力を込めました。
そして、私の不安を丸ごと包み込むような、底抜けに優しくて甘い笑みを向けたのです。
「大丈夫。もし途中で食べられないと思ったら、一口かじった後でも何でも俺に渡しなよ。……ともえさんのものなら、俺が全部喜んで食べてあげるから」
以前、前職でのトラウマや「食事を残して怒られた」という私の告白を、彼はしっかりと覚えていてくれたのだ。
(この人……本当に、どこまで私を甘やかしてくれるの……?)
人前で食べることの恐怖も、残してしまう罪悪感も、彼のその一言だけで綺麗に消え去っていく。
胸の奥が熱く熱く熱を帯びて、私は繋がれた手を見つめながら、心からの思いを込めて頷きました。
「……ありがとう、和樹さん」
ギュッと握り返した私の手に応えるように、彼は嬉しそうに目を細めたのだった。
