氷点下10℃

 「ばかみたい」
そう、小さくつぶやいてみた。私の掠れた声を冷えた冬の風がかき消す。
やっぱり独り言を言ってみても、私は主人公になんかなれない。

 ずっと好きだった彼に、フラれてしまった。ずっと好きだった、明るくて素直な彼にフラれてしまった。
しかも、ちょっと考えるから、みたいなのなしに、まずはありがとう、って。
彼、みんなにナイショで、一組の子と付き合っているみたい。私、それ知ってたら、絶対告らなかった。正直、先に言ってよって思った。みんなに言いふらして自慢してたら、私は諦めてた。それで、明日からも普通のクラスメイトでいられたのに。
多分、もう普通のクラスメイトにはなれない。絶対、気まずくなる。

 私は校門を出て、二人で歩きたかった帰り道のコンクリートを踏む。並木通りにはいると、枯れ葉が落ちていて、踏むたびジャリジャリ音を立てた。広い道路に出て、一人歩く。爪先に当たった小石を軽く蹴った。カン、という音を立てて、ガードレールにぶつかる。茶色く汚れた白のスニーカーに目がいく。視界がぼやけて、鼻の先に温かい雫が落ちてくる。ああ、今、泣いているんだ、私。

 「これ、違う?」
初めて彼と交わした会話は、こんなたわいのないものだったと思う。私が落とした消しゴムを拾ってくれたとか、そんなん。
「あ、うん、私の」
ありがと、と言って大きめのカーディガンの先から、ちょっとだけ指先を出して受け取った。このとき思ったことは、目、おっきいな、とか、髪の毛サラサラでうらやましいな、とかそんなことだった気がする。

 そのちょっと後に、席替えで隣の席になった。それから、なんとなく、かっこいいって思うようになって、気がついたら目で追ってて、あ、好きだなって思うようになった。
それから、班活動のときとかに話しかけたり、女の子らしい仕草をするよう心がけたりした。
そういうのも、あんまり意味なかったのかな…、なーんて暗いことは思いたくないけど。
1番嬉しかったのは、私の名前を覚えててくれたこと。課題のプリント返却のときに、彼は配布係だったのだけれど、私に私のプリントをちゃんと渡してくれた。そんなのクラスメイトだから、当然じゃん?って思うかもだけど、あのときはほんとに嬉しかった。
あと、あと、学校休んだ日の翌日に、心配してくれたこと。大丈夫?って、あんま無理すんなよって。
思い出したくなんてないのに、勝手に思い出が溢れてくる。私が勝手に思い出にしてる、ただの日常が。

 気がついたときには、あと数歩で家、というところまで来ていた。急いでハンカチで涙を拭う。
頬をぴん、とひねって、笑顔をつくる。
「ただいま」
声が震えないように、早口で言う。
「おかえり、ご飯できてるよ」
お母さんの優しい声に、やっぱり、泣きそうになる。
「ねえ、お風呂沸いてる?先入ってきてもいい?」

 外が寒かったからか、温かいはずのお湯が熱いように感じる。フラれた、彼に。
ほんとに、終わったんだ、私の、恋。私の、初恋。
初恋は叶わないってよく言うけど、あれはあながち間違いではないのかもしれない。
また涙が流れそうになって、急いで顔に水をかける。バシャバシャと音がする。

かなしい、くるしい、つらい。

恋って、こんな気持ちになるんだ。
たのしい、うれしい、どきどき、だけじゃないんだ。
両思いになりたかった。なってみたかった。
初めての彼氏は、君がよかった。
どうしよう、涙が止まらない。
私は涙をたくさん流した。明日、笑うために。

お風呂から上がると、お母さんがテレビのニュース番組を観ていた。
『今日、北海道では今年最高の寒さとなり、ダイヤモンドダストも観測されたそうで…』
綺麗なニュースキャスターのお姉さんが、そう言っている。
画面には、きらきらで、まるでスノードームをひっくり返したみたいなきれいな映像が流れていた。
これが、ダイヤモンドダスト。
空気中の水蒸気が凍って、小さな氷の結晶になって、それが太陽に反射して、きらきら輝く。氷点下10℃以下で発生するらしい。
もしかしたら、初恋というのは、きらきらしているけど、儚く消えていってしまう、ダイヤモンドダストみたいなものなのかもしれない。

 私の心は、今、きっと氷点下10℃で、きらきら綺麗なダイヤモンドダストが舞っている。
この恋は、心に留めておこう。
春がきたら、きっと暖かくなるから。