「『プレジデント・ビュー』」
道路を走る車のライトが部屋に差し込む。
わたしの言葉を繰り返す横顔を、一瞬だけ照らす。
「知ってる?」
「ああ、経済誌だな」
「どんな?」
「企業のトップや経営者を紹介する雑誌だ。それが?」
また車が通る。
レイは焦る様子はない。お寿司の横に、醤油とわさびを並べた。
「箸と小皿を持ってこよう」
「割りばしがあるし、パックの上をお皿代わりにするの」
「……パックを皿にするのか?」
「レイはそういう食べ方したことないでしょ?」
「まあ、ないが。それより真琴の言い方が気になる」
「言い方?」
「少し、突っかかるような――」
制服のスカートをギュッと握る。
啓太に言われても、わざわざ調べる気にはならなかった。そんなとき、スーパーの雑誌コーナーで『プレジデント・ビュー』が目に留まった。
表紙には『名門企業を継ぐ若き経営者』『若きプリンスたちの経営戦略』と華やかな見出しが並ぶ。目の前のレイとは結びつかない。
ううん、結びつけたくないのかもしれない。
「いつものこと、でしょ。あー、やっぱりお風呂を先にしようかな。先に食べててください」
肩を回して、疲れたふりをする。
「待ってる」
「え、いいですよ。お腹空いてますよね?」
「それでも待つ」
レイの表情は見えない。手元でなにかをしているようだ。
「レイ?」
「パックを小皿にする方法が分からないんだ。だから、一緒に食べたい。駄目か?」
「だ、ダメというわけじゃ」
「じゃあ、ゆっくり入ってこい」
ふかふかのタオルを渡された。
■
家具のない生活は不便だけれど、照明のないお風呂は悪くない。肩までしっかり浸かり、天井を見上げた。
レイと名付けた男性と、このまま暮らしていけるはずない。頭の中では分かっているのに、記憶喪失の真相を暴くのは明日にしよう、明後日でもいいかと延長してしまう。
湯船の中で膝を抱える。
最初はひとりが寂しかっただけ。
次にレイがいると、空っぽの部屋に帰る理由になった。
レイは自分をよく喋る観葉植物とでも思ってくれと言うけれど、「いってらっしゃい」と「ただいま」の挨拶がいつのまにか生活に根付く。
それから――
考えれば考えるほど、レイがいることを当たり前にしている自分に気がついて。
本当にレイが『プレジデント・ビュー』で取り上げられるような人物だとしよう。
恋人に捨てられ、会社は買収されそうなわたしと同じ部屋にいられるだろうか?
湯面を叩き、波立つのをぼんやり眺める。
うまく考えがまとまらなくなってきて、浴槽の縁を持つ。
立ち上がろうとすると、視界がぐらりと歪む。
「――真琴? 随分、長く入っているようだが?」
「え、ああ、はい」
脱衣所から掛けられる声に、返事をするが遠い。自分の声がうまく聞こえない。
ふらつき、再び湯船へ。
「おい、すごい音がしたぞ? 大丈夫か?」
「……のぼせた、だけです。平気、なんで」
「悪いが、中へ入らせてもらうぞ」
ドアが開いたかと思えば、正面から抱き留められていた。仰け反ろうとしても動けない。
「頭は打ってない、みたいだな」
レイはわたしの濡れた髪をすき、肩からバスタオルを掛ける。
「あ、あの!」
「この体勢なら何も見えない」
「レイが濡れちゃいますが」
「構わない。真琴はどこか痛いか? 目が回ったりしてないか?」
真新しいTシャツがだんだん湿っていき、レイの心臓の音が聞こえた。
もしかしたら、わたしと同じように緊張しているのかもしれない。
確かめようとしたら、レイの腕に力がこもった。
「動くな、見えるぞ」
「目、つむっててください」
「断る。また倒れられても困る。今だって心配している。本当は痛いんじゃ?」
「……どこも、痛くないです」
Tシャツに、ぐりぐり額を擦りつける。
「でも」
もう少し、このままで。
「湯冷めするので早く出ましょうか。お寿司も干からびちゃいます」
バスタオルで身体を包み、レイから離れた。
道路を走る車のライトが部屋に差し込む。
わたしの言葉を繰り返す横顔を、一瞬だけ照らす。
「知ってる?」
「ああ、経済誌だな」
「どんな?」
「企業のトップや経営者を紹介する雑誌だ。それが?」
また車が通る。
レイは焦る様子はない。お寿司の横に、醤油とわさびを並べた。
「箸と小皿を持ってこよう」
「割りばしがあるし、パックの上をお皿代わりにするの」
「……パックを皿にするのか?」
「レイはそういう食べ方したことないでしょ?」
「まあ、ないが。それより真琴の言い方が気になる」
「言い方?」
「少し、突っかかるような――」
制服のスカートをギュッと握る。
啓太に言われても、わざわざ調べる気にはならなかった。そんなとき、スーパーの雑誌コーナーで『プレジデント・ビュー』が目に留まった。
表紙には『名門企業を継ぐ若き経営者』『若きプリンスたちの経営戦略』と華やかな見出しが並ぶ。目の前のレイとは結びつかない。
ううん、結びつけたくないのかもしれない。
「いつものこと、でしょ。あー、やっぱりお風呂を先にしようかな。先に食べててください」
肩を回して、疲れたふりをする。
「待ってる」
「え、いいですよ。お腹空いてますよね?」
「それでも待つ」
レイの表情は見えない。手元でなにかをしているようだ。
「レイ?」
「パックを小皿にする方法が分からないんだ。だから、一緒に食べたい。駄目か?」
「だ、ダメというわけじゃ」
「じゃあ、ゆっくり入ってこい」
ふかふかのタオルを渡された。
■
家具のない生活は不便だけれど、照明のないお風呂は悪くない。肩までしっかり浸かり、天井を見上げた。
レイと名付けた男性と、このまま暮らしていけるはずない。頭の中では分かっているのに、記憶喪失の真相を暴くのは明日にしよう、明後日でもいいかと延長してしまう。
湯船の中で膝を抱える。
最初はひとりが寂しかっただけ。
次にレイがいると、空っぽの部屋に帰る理由になった。
レイは自分をよく喋る観葉植物とでも思ってくれと言うけれど、「いってらっしゃい」と「ただいま」の挨拶がいつのまにか生活に根付く。
それから――
考えれば考えるほど、レイがいることを当たり前にしている自分に気がついて。
本当にレイが『プレジデント・ビュー』で取り上げられるような人物だとしよう。
恋人に捨てられ、会社は買収されそうなわたしと同じ部屋にいられるだろうか?
湯面を叩き、波立つのをぼんやり眺める。
うまく考えがまとまらなくなってきて、浴槽の縁を持つ。
立ち上がろうとすると、視界がぐらりと歪む。
「――真琴? 随分、長く入っているようだが?」
「え、ああ、はい」
脱衣所から掛けられる声に、返事をするが遠い。自分の声がうまく聞こえない。
ふらつき、再び湯船へ。
「おい、すごい音がしたぞ? 大丈夫か?」
「……のぼせた、だけです。平気、なんで」
「悪いが、中へ入らせてもらうぞ」
ドアが開いたかと思えば、正面から抱き留められていた。仰け反ろうとしても動けない。
「頭は打ってない、みたいだな」
レイはわたしの濡れた髪をすき、肩からバスタオルを掛ける。
「あ、あの!」
「この体勢なら何も見えない」
「レイが濡れちゃいますが」
「構わない。真琴はどこか痛いか? 目が回ったりしてないか?」
真新しいTシャツがだんだん湿っていき、レイの心臓の音が聞こえた。
もしかしたら、わたしと同じように緊張しているのかもしれない。
確かめようとしたら、レイの腕に力がこもった。
「動くな、見えるぞ」
「目、つむっててください」
「断る。また倒れられても困る。今だって心配している。本当は痛いんじゃ?」
「……どこも、痛くないです」
Tシャツに、ぐりぐり額を擦りつける。
「でも」
もう少し、このままで。
「湯冷めするので早く出ましょうか。お寿司も干からびちゃいます」
バスタオルで身体を包み、レイから離れた。

