御曹司と床でピザたべる

「ああ、とてもお似合いだ」

 店主が手鏡を持ってきた。それを受け取り、首を傾け、角度を変えて見てみる。

「どうだ?」
「……可愛い、ですけど」
「なら、頂こうか」

 いやいや、これ以上の出費は痛い。
 止めようとしたものの、レイは意に介さず上着から何かを取り出した。

「ご主人、こちらとバレッタを交換してないか?」

 持ちかけたのは、まさかの物々交換。

「ほう、ネクタイピンかな? 拝見しても?」

 こんなお店が、物々交換に応じるとは思えない。そう思ったのに、店主は白手袋をはめてピンの鑑定を始める。

「……かなりの代物だが、いいのかい?」
「構わない。それは俺を縛るものだから」
「そういうことなら、喜んで交換させてもらおう」

 店主の表情は明らかにホクホクしている。一方、レイはどこか複雑そうで。

「大切なものなんじゃないの? 無理しなくていいです。お金を持って、出直そう」

 財布もスマホもない彼にとって、あのネクタイピンは、自分の過去を知る手掛かりになるかもしれない。

「本当にいいんだ」

 バレッタを外そうとしたが、手首を掴まれてしまう。簡単に振り払える力加減が、全身を締め付ける。

「バレッタは、真琴の世界をひらいてくれる」

 口へ入りそうになった毛先の残像をなぞるよう、頬へ触れてきた。

「世界を、ひらく?」
「視界良好って意味。とにかく俺からのプレゼントだ。家宝にしろ」

 バレッタを撫で、頭をポンポンッと叩く。

「店主、給料が出たらまた来よう。今日はこれで失礼する」
「待ちなさい、人のお金を当てにしないでよ!」

 レイが軽く手を上げると、店主は深々と頭を下げていた。


■

 昼休みの社員食堂は、いつもより騒がしく感じた。
 食券機に並び、メニューを受け取るまでの時間がもったいない。普段はお弁当を持ってくるのに、炊飯器がない。

「河合さん、こっち空いてるよ!」

 同期の向かいに腰を下ろす。「いただきます」と手を合わせ、箸を割ったところで。

「ねえ、いつ別れたの? 驚いたんだけど」
「……バレたか」
「バレるよ、足立さんに余興頼まれた。速攻、断ってやった」
「そっか」
「そっか、じゃないって! はあ、知らないとはいえ、結婚式の話とかしちゃってゴメン」
「こちらこそ、胎教に悪い話を聞かせてごめんね」

 同期のお弁当箱には白いご飯と煮物、焼き魚がきれいに詰められていた。以前はよく入っていた揚げ物が、最近はすっかり姿を消している。

「……でも、意外と元気そうかも?」
「ええ! 元気なわけないし。この歳で振られたんだよ?」

 とか言いながら、とんかつ定食を頼む。ご飯は大盛り。

「それに、そのバレッタ。プレゼントでしょ?」
「え、分かる?」
「うん。だって河合さんが付けなさそうなのに、すごく似合ってる! 新しい恋、見つかりそう?」

 付け合せの味噌汁を飲む。

「――そんなに早く切り替えられない」

 ソースをかけすぎて、とんかつが濃い茶色に染まった。

 レイとの同居生活は続いている。彼は警察に相談するつもりはないらしく、今ごろ窓辺で本を読んでいる。

「あ、ねえ、また本を貸してくれないかな?」

 テレビもラジオもない部屋じゃ、読書くらいしか暇を潰す方法がない。

「河合さん、ビジネス書に興味あるんだね。いいよ、新しい本、見繕ってもらうわ」
「ありがとう、旦那さんにもお礼を伝えて」
「いいのよ、ああいう内容が仕事なんだから」

 同期の箸が、ふと止まる。

「そういえば」

 声を潜め、口元に両手を立てると内緒話のポーズ。

「うちの会社、買収されるかもって」
「買収?」
「旦那が言うには、ある大企業がうちと同じ分野に進出しようとしてるんだって。自分たちでゼロから始めるより、実績のある会社を買収するほうが早いらしいよ」

 どうりで、いつもより騒がしいわけだ。買収の噂が食堂中に広がっている。

「大幅な人員整理をする計画があるとか、ないとか」
「失恋して、仕事まで失うなんて考えたくないな」
「アタシも育休明けに自分の席がなかったら困る。足立さんと違って、出産しても働かないと」

 家具も失ったままだ。

「とはいえ、啓太くんにはざまあみろ、だよ。結婚して子どもがうまれるってときに、こんな風になるなんて。河合さん、神様はちゃんと見てるよ」
「いやいや、天罰が下るなら、会社じゃなくて啓太のみにお願いしたいんだけど。社員みんな道連れにしないで」

 笑いながら、レイの顔が浮かんだ。
 もし仕事を失ったら、あの部屋でどうやって暮らしていけばいいんだろう。