階段を駆け下り、施設の裏手へ。
「はあっ、はあ、ちょっと、息が」
抱えていた羽毛布団がずり落ち、レイが受け止めた。
「運動不足じゃないのか?」
「――っさい」
膝へ手を当て、呼吸を整える。その間もレイは警戒を怠らない。辺りを見回す。
「あの、思ったんですが」
「なんだ?」
「追手がアパートで待ち構えてたら?」
「……ああ、その可能性もあるな。どこかで時間を潰してから帰ろう」
「そういうことじゃなくて――彼等と知り合いですか?」
先に歩き始めたレイの足が止まる。革靴のつま先が小石を踏む。
「無関係の人間を、あんなに熱心に探さないだろ?」
「はぐらかさないで。真剣に聞いてるの」
「覚えていない」
「記憶喪失の設定はいいから」
声のボリュームが上がってしまう。
「思い出したくないんだ」
レイにしては歯切れが悪い。この人には、望めばなんでも手に入れられそうな自信がよく似合う。
少し黙り、嘘にならない答えを探しているようだった。
「叱られた犬みたいな顔ですね」
「はあ?」
「はい、お手」
手を出すと、横を向く。
「繋ぎたいならそう言えばいい。ご主人様は素直じゃないなあ」
「運動不足なのは認める。引っ張って」
「はいはい」
ぶっきらぼうに答えるくせ、手つきは優しい。きっと、こういうところ。
「……連中のこと、聞かないのか?」
レイの指先に力が入る。
「事情は警察に話してください」
繋いだ手は、離さない。
「あの店は?」
「アンティークショップみたいですね。このあたり、わたしには縁のないお店ばかりなんです」
いわゆる高級ブティック街。追手も派手な騒ぎは起こしにくいだろう。逃げ込む場所として悪くない。
レイは何食わぬ顔で、店内へ踏み入れようとした。
「見るだけにしてくださいね!」
「分かった」
いや、分かってない。ショーウインド越しに物色を始めている。
ショーウインドには、金色の縁取りを施した時計や、繊細な花模様のティーカップ、装飾の美しい小箱などが並ぶ。
柔らかな光に照らされた品々に、レイだけでなくわたしまで目を奪われた。
顔を近づけすぎたせいか、耳にかけていた髪が頬に落ちる。
かけ直そうとした、そのとき。
「いらっしゃい。よかったら、中へどうぞ」
店から初老の男性が出てきた。
「どれも見事な品ですね。あなたが選ばれたのですか?」
「年寄りの道楽ですよ。さあ、どうぞ」
店内には深い色合いの木棚が並び、陶磁器や銀器、宝石箱がゆったりと飾られている。
時間の流れから切り離されたような空間に、感嘆の息が漏れた。
「すてき」
レイは淡い青磁色の小皿を手に取ると、底を確かめ、縁を照明にかざした。
「お好きですか?」
「ええ、まあ」
「レイ、こういうの詳しいの?」
小皿を元の場所へ戻し、ティースプーンへ興味を移す。柄の細工を確かめ、裏返した。
「さあな。うちの床には、少々上等すぎる気がする」
「わたしの家ですが」
わたしは眺めるだけにしておく。うっかり壊したら大変だ。
割れ物の一角から離れ、ヘアアクセサリーが置かれたテーブルの前へ。
ベルベットの敷布の上には、大小さまざまな髪留めが飾られていた。
レイと店主はなにやら話が弾んでいる。2人の会話を背に、真珠をあしらったバレッタへ目を留めた。このワンピースに似合いそう。
でも、高そう。
値札はついていないが、わたしもそのくらい察せられる。
「気になるなら合わせてみればいい。ご主人、鏡は借りられるか?」
「いや、そこまでしなくても――」
「ええ、持って参ります」
店主が奥へ入ってから、レイにひじ打ち。
「買えないのに、どうするんですか?」
「合わせてみるくらい、いいだろう? それにこれはよい品だ」
レイが、そっとわたしの髪に触れた。
「ちょっと、なにして」
「じっとしていろ。束ねてやる」
「自分でできますし」
「いいから。動くな」
指先を耳の後ろに滑り込ませ、髪をすくい上げる。左右から集めた毛束を片手でまとめ、もう片方の手で乱れた髪を整えていく。
「逃げている途中、髪が口に入りそうになっていただろう? 何度も耳にかけ直していたな」
パチンッ、バレッタを留める音。
「よし、これでいい」
「はあっ、はあ、ちょっと、息が」
抱えていた羽毛布団がずり落ち、レイが受け止めた。
「運動不足じゃないのか?」
「――っさい」
膝へ手を当て、呼吸を整える。その間もレイは警戒を怠らない。辺りを見回す。
「あの、思ったんですが」
「なんだ?」
「追手がアパートで待ち構えてたら?」
「……ああ、その可能性もあるな。どこかで時間を潰してから帰ろう」
「そういうことじゃなくて――彼等と知り合いですか?」
先に歩き始めたレイの足が止まる。革靴のつま先が小石を踏む。
「無関係の人間を、あんなに熱心に探さないだろ?」
「はぐらかさないで。真剣に聞いてるの」
「覚えていない」
「記憶喪失の設定はいいから」
声のボリュームが上がってしまう。
「思い出したくないんだ」
レイにしては歯切れが悪い。この人には、望めばなんでも手に入れられそうな自信がよく似合う。
少し黙り、嘘にならない答えを探しているようだった。
「叱られた犬みたいな顔ですね」
「はあ?」
「はい、お手」
手を出すと、横を向く。
「繋ぎたいならそう言えばいい。ご主人様は素直じゃないなあ」
「運動不足なのは認める。引っ張って」
「はいはい」
ぶっきらぼうに答えるくせ、手つきは優しい。きっと、こういうところ。
「……連中のこと、聞かないのか?」
レイの指先に力が入る。
「事情は警察に話してください」
繋いだ手は、離さない。
「あの店は?」
「アンティークショップみたいですね。このあたり、わたしには縁のないお店ばかりなんです」
いわゆる高級ブティック街。追手も派手な騒ぎは起こしにくいだろう。逃げ込む場所として悪くない。
レイは何食わぬ顔で、店内へ踏み入れようとした。
「見るだけにしてくださいね!」
「分かった」
いや、分かってない。ショーウインド越しに物色を始めている。
ショーウインドには、金色の縁取りを施した時計や、繊細な花模様のティーカップ、装飾の美しい小箱などが並ぶ。
柔らかな光に照らされた品々に、レイだけでなくわたしまで目を奪われた。
顔を近づけすぎたせいか、耳にかけていた髪が頬に落ちる。
かけ直そうとした、そのとき。
「いらっしゃい。よかったら、中へどうぞ」
店から初老の男性が出てきた。
「どれも見事な品ですね。あなたが選ばれたのですか?」
「年寄りの道楽ですよ。さあ、どうぞ」
店内には深い色合いの木棚が並び、陶磁器や銀器、宝石箱がゆったりと飾られている。
時間の流れから切り離されたような空間に、感嘆の息が漏れた。
「すてき」
レイは淡い青磁色の小皿を手に取ると、底を確かめ、縁を照明にかざした。
「お好きですか?」
「ええ、まあ」
「レイ、こういうの詳しいの?」
小皿を元の場所へ戻し、ティースプーンへ興味を移す。柄の細工を確かめ、裏返した。
「さあな。うちの床には、少々上等すぎる気がする」
「わたしの家ですが」
わたしは眺めるだけにしておく。うっかり壊したら大変だ。
割れ物の一角から離れ、ヘアアクセサリーが置かれたテーブルの前へ。
ベルベットの敷布の上には、大小さまざまな髪留めが飾られていた。
レイと店主はなにやら話が弾んでいる。2人の会話を背に、真珠をあしらったバレッタへ目を留めた。このワンピースに似合いそう。
でも、高そう。
値札はついていないが、わたしもそのくらい察せられる。
「気になるなら合わせてみればいい。ご主人、鏡は借りられるか?」
「いや、そこまでしなくても――」
「ええ、持って参ります」
店主が奥へ入ってから、レイにひじ打ち。
「買えないのに、どうするんですか?」
「合わせてみるくらい、いいだろう? それにこれはよい品だ」
レイが、そっとわたしの髪に触れた。
「ちょっと、なにして」
「じっとしていろ。束ねてやる」
「自分でできますし」
「いいから。動くな」
指先を耳の後ろに滑り込ませ、髪をすくい上げる。左右から集めた毛束を片手でまとめ、もう片方の手で乱れた髪を整えていく。
「逃げている途中、髪が口に入りそうになっていただろう? 何度も耳にかけ直していたな」
パチンッ、バレッタを留める音。
「よし、これでいい」

