御曹司と床でピザたべる

 同棲を解消したら部屋が空っぽになり、記憶喪失の男がピザを持って現れた。

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「……だから、1階に住むのは嫌だったのに」
「あぁ、女性は防犯上、2階以上の部屋がいいだろう。次の部屋はそうしたのか?」
「……あいにく、引っ越しの予定はなくて」
「そうか。越してきたばかりなんだな」
「違います。話、聞いてました?」

 わたしの背後を探る額にスーッと血が垂れる。足元に転がったバッグからハンカチを取り、男性へ差し出した。

「恋人と同棲を解消したら家具一式を持ち去られ、あなたが現れたんです」

 一拍、置いて。

「ピザ持って」

 見開く男性はこの状況に驚いたというより、出血にショックを受けている。こちらも状況説明を数回させられ、救急車か警察か、ダイヤルする指が前者に傾きつつあった。

「すまない、洗面台を借りても?」
「知らない男性を部屋にはあげられません」
「だが、名前を思い出せなくて」
「救急車を呼びましょう」

 部屋を覗かれた時点で即通報、とならなかったのは身なりがキレイだから。高そうなスーツ、革靴もきちんと磨かれて。
 パッと見は不審者ではない。むしろ、恋人の仕打ちに唖然とする姿を気遣ってくれそう、そんな期待を抱かせた。

「待ってくれ!」
「ちょっと! 靴のまま上がらないで」
「すまない、スリッパが見当たらなかったもので」
「なんでスリッパを出して貰えると?」
「とにかく通報は困るんだ、やめてくれないか?」

 襲われたら逃げ場はない、1LDK。ゆっくり後ずさると、男性は靴を揃えてから上がる。その際、靴箱の上にある写真立てに気づく。
 ――温泉旅行でのツーショット。振り返れば、あの頃から浮気をされていたんだ。

「この体格なら冷蔵庫、担げそうだな」
「あなただって、女ひとりくらい抱えられそうだけど? いい加減、出て行って! 叫びますよ」

 男性は両手を上げた。降参のポーズにピザは似合わない。

「洗面台を借りたい。自分の顔を見たら、何か思い出すかもしれないんだ」
「記憶喪失の設定、まだ引っ張る気?」
「信じられないのも無理はない、俺だってよく分かってない。お邪魔します」

 距離をはかり、ギリギリ届くあたりで箱を渡してくる。ピザをまるで手土産のように。
 まだ温かい。

「ここが洗面所?」
「……」

 左のドアへ視線を滑らせる。

「危害を加える気はない、本当だ。自分の身に何が起きたのか、混乱している。顔を確認したら帰るから」
「……」
「頼む」

 わたしは頷き、ドアを開く。あ、洗濯機がない。
 ひとまず男性がそこへ入ったら閉じ込めてしまおう。それから救急車を呼ぶ。
 
 水が流れる音がし始め、リビングを見回す。テレビ、テーブルはないし、カーテンまで取り外されて、金目のものは残っていない。強盗目的だとすれば盗み甲斐が無さすぎるだろう。
 しかも、ピザへ添えられたメッセージカードには【ハッピーバースデー】と書いてある。
 誰かを祝う前に事件や事故に巻き込まれた、そう考える方がまだ説明がつく。

「タオルを借りてもいいか?」
「棚にあるの、使って」
「無いが?」
「……タオルまで持っていったの? はは、彼女、嫌がらないかなー」

 ドアを背にズルズル、座り込む。
 膝に顔をうずめた。

「一般的には嫌だろうな」
「あなたが一般論、語らないで」
「それもそうだ。絆創膏あるか? 額が切れている」
「図々しいね」

 確かバッグの中に――玄関に視線を戻せば、開いたままのドアからまた覗かれている。
 今度は複数人。

「……もしかして、仲間とか、いる?」

 尋ねた瞬間、男性が洗面所から飛び出してきた。大股でわたしの脇をすり抜け、ドアチェーンを掛けに向かう。

「俺、命を狙われているかもしれない」

 外でノブがガチャガチャ回されていた。